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[No.1594]

  • (金)

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「島ネタCHOSA班」2015年11月05日[No.1594]号

中城の人魚像 今いずこ

 中城村久場にかつてあった「マーメイド」というレストランから見える海辺に人魚の像がありました。今その人魚はどうなっているのでしょうか?

(南城市 ビッグ・マーメイドさん)

中城の人魚像 今いずこ!?

 海辺に人魚の像? 県外出身の調査員は初耳です。他の調査員に聞くと、カップルで祈願すると恋が成就するというジンクスがあるとか。

 がぜん興味が湧いてきました。向かったのは、レストラン跡地にある中城モール。そこから海辺に足を踏み入れると―。ありました! 白いその人魚は、堂々と浜辺にたたずんでいます。その前には「カフェ・マーメイド」という店が。さっそく尋ねてみると、当時のレストランの関係者はもういないとのこと。でも、事情を知る人を紹介してくれました。

制作者が判明!

 お会いしたのは、中城モール内で衣料品などを販売している謝花正雄さん。以前は家具販売の「ヨナシロ」に勤務していて、中城モール建設時は企画開発部長だったそう。

 人魚は誰が作ったのですか?

 「レストランの経営者、故・古堅宗秀(そうしゅう)さんです」

 経営者が自ら作ったとは驚きです。恋が成就するなどのジンクスもあるそうですが。

 「そういう話も聞きますね。観光客も人魚を見に訪れますよ」と謝花さん。

 「ユタが砂浜で拝みをしている光景も目にします」とカフェ・マーメイド店長の新城寿子さんも教えてくれました。

 すごい人魚ですね。誰かが手入れなどをしているんですか?

 「腐食が進むので、近隣の人たちやスタッフが半年から1年ごとにペンキを塗り直しています」と新城さん。

 地域で保存に努めているとは、想像していませんでした。

 「以前は、古堅さんの孫の嶺井大地君が手入れをしていました。本土の大学へ進学後も、夏休みのたびに戻ってきては修復していました」と謝花さん。

 ご家族の連絡先は分かりますか?

 「リトル・マーメイドの経営に携わっていた大地君のお母さんの携帯番号はまだ電話帳に残っていますが、今も使われているかどうか…」

 諦め半分で電話してみると、なんと大地さんの母親で古堅さんの娘、嶺井美樹さんが応答!大地さんもつい最近、本土から戻ってきたといいます。嶺井さん親子に会いに行きましょう!

地元のシンボルに

 美樹さんによると、父親の古堅さんが、知人からファミリーレストランを引き継いだ際に、人魚を制作したそう。「誕生から30年ぐらい経ちますね。父は彫刻家ではないのですが、絵を描いたりするのが好きで、芸術家肌でした」

 以前は大地さんが修復をしていたと聞きましたが?

 「中にボルトが入っているため、赤さびが浮き出てきたり、崩れたりする箇所がありました。見かねて修復をしていました」と大地さん。高校生のころから始め、本土の大学に進学後も、夏休みに帰ってきては手入れしていたそうです。

 大地さんが修復作業をしていると、いきなり怒られたことも。

 「人魚を傷つけていると勘違いされたんです。事情が分かると、アドバイスをくれた人もいます。中にはユタもいて『地域にとって大事なものだから手厚くしないといけないよ』と言われました」

 皆さんの人魚への強い思いを感じますね。

 「初めは個人的にやっていたのですが、地域の人に大切にされているんだと実感しました」

 最近まで本土にいて、修復作業からは離れていた大地さん。知人がネット上に載せたきれいな人魚の写真を見て、安心していたそうです。

 「使命感のようなものはあります」という大地さん。沖縄に戻った今、修復に携われたらという思いがあるようで、頼もしい限りです。

 今では皆に大切にされている人魚。これからもこの町を見守り続けてほしいと願う調査員でした。



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中城の人魚像 今いずこ
謝花正雄さん
中城の人魚像 今いずこ
浜辺の人魚。この日は雨でしたが、干潮時は人魚全体が見えます。大潮だと胸が隠れるほど海水に浸ってしまうそう
中城の人魚像 今いずこ
完成当初の人魚。今よりも肉付きが良かった様子
中城の人魚像 今いずこ
当時はレストランの入り口に置かれていたもう1体の人魚もカフェの前で海を見つめて立っています
中城の人魚像 今いずこ
嶺井美樹さん(左)・大地さん親子。大地さんは本土で食肉加工の技術を学び、帰沖したばかり
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