「島ネタCHOSA班」2016年11月03日[No.1645]号
ふとしたきっかけで少し前から川柳が気になり始め、琉球新報掲載の「新報川柳」が楽しみになりました。10月6日に北中城村で県川柳大会が開催されたと新聞記事で拝見しましたが、主催の「沖縄県川柳協会」さんが気になっています。どのような活動をされておられるのか調べてください。
(那覇市 海猫さん)
県の川柳界、その広がりは!?
川柳ですか〜。俳句と違って季語も必要なく、五・七・五を守ればとりあえず川柳になるそうなので、気軽に始められそうですね。 沖縄にも川柳協会があり、年1回のペースで川柳の県大会が開催されているのは、心強い限りです。
かつては不毛の地とも!?
というわけで、さっそく沖縄県川柳協会(以下、県川柳協会)にコンタクトを取った調査員。
呼びかけに応じ、集まっていただいたのは、現会長の花崎為継(ためつぐ)(柳号・高松呑海(どんかい))さんをはじめ、事務局長の真栄城久枝(柳号・真栄城千矢子)さん、事務局会計の高橋けい子さん、そして2代目会長を務め、県川柳界の歴史をつぶさに見てきたという現普天間川柳の会会長・小浜廉市(れんいち)さん。
「実をいうと、沖縄はかつて川柳不毛の地と言われていたんですよ」と口を開いた小浜さん。ええっ、そうなんですか?
「もちろん個人的に川柳をたしなんでいる人はいたのですが、全国で沖縄だけ川柳の会がない状態がずっと続いていました。
そんな状況を何とかしようと、平成6(1994)年に、国吉司図子さんが、当時の全日本川柳協会会長の仲川たけしさんに勧められて、『沖縄川柳の会』を発足させたんです。仲川さんは本土の方ですが、なんとか沖縄に川柳を根付かせようと力を尽くされました」
会の発足を受け、翌平成7(95)年には、琉球新報柳壇が開設。平成11(99)年に県川柳協会が創立され、平成14年(2002)年に全日本川柳協会の全国大会を糸満市の沖縄平和祈念堂で開催。550人が参加したとのこと。
沖縄を川柳の里へ
先人の頑張りがあって、ここ20年ほどの間に県内でも裾野が広がっていった川柳。現在、県川柳協会は、県大会、吟行会を主催するほか、年3回会誌「沖川協通信」を発行。協会としての句会は行っていませんが、北中城、普天間、那覇、豊見城、糸満の5柳社が、それぞれ月1〜2回ほどのペースで句会を開いているそう。各柳社に10〜15人ほどのメンバーが在籍し、協会全体では60人ほどの規模だとか。
ところで、句会ってどんな感じなんでしょうか?
「柳社によっても違うと思いますが、例えば『仕事』や『動く』といったようなお題が与えられ、事前に句を考えていきます。みんなで持ち寄った句を発表・添削して、ベスト3を選ぶという流れが一般的ではないかと思います」と高橋さん。
えっ、宿題!? 考えていくのが大変じゃないですか?
「いえ、私の場合はだいたい句会の前に、車の中などで急いでつくるという感じで、無理なくやっていますね。生活の中に溶け込んでしまっているという感じです」
なるほど。毎日の暮らしの中で無理なく実践できるのも川柳の魅力の一つなんですね。うなずく調査員に、「『席題』といって、その場で句を考えることもありますよ」と真栄城さん。「お題が与えられて、だいたい30分ほどの間に句をつくります」
時間制限があると焦りそうですが、いつも締め切り間際で火事場の馬鹿力を出す調査員は、こちらのやり方のほうが向いているかもしれません(笑)。
でも、句会に入っていらっしゃるみなさんは、すごい句をつくりそうですね〜。
「個人では全国レベルの力量を持つ人が生まれつつあるのも事実ですが、全体的にはまだまだこれから。今ならすぐに追いつけますから、興味のある人はとにかく気軽に始めてみてください」と高松さん。「県民には、ウイットやユーモアがあります。沖縄を川柳の里にしたいですね」と力強く抱負を語ってくれました。
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えー、最後に、触発された調査員も一句。「締め切りを 過ぎて原稿 書き始め」。…お粗末さまでした。