「島ネタCHOSA班」2017年05月18日[No.1673]号
先日、名護市東江にあるオリオンビールの「オリオンハッピーパーク」に遊びに行きました。工場の見学や試飲など楽しく過ごしましたが、ふと、なぜ名護に工場が建てられたのだろうと疑問に思いました。詳しく調べてもらえませんか?
(那覇市 40代男性)
オリオン工場なぜ名護に!?
折しも、きょう5月18日はオリオンビールの創立記念日。前身である沖縄ビールの設立は1957年ですから、ことしは60周年という節目になります。いやー、このタイムリーな調査依頼、見逃すわけにはいきませんね。ついでに、おいしいビールを飲む機会を逃すわけにもいきませんね!!
水と環境が決め手
というわけで、さっそくオリオンビールの名護工場を訪れた調査員。天気にも恵まれ、まさに絶好のビールびより……じゃなかった調査びよりです。
「こんにちは、レキオですが〜」と能天気に工場の門をくぐった調査員を出迎えてくれたのは……。
なんと、歴代の工場長を務めたという3人の方々。5代目工場長の浮島明進(めいしん)さん、6代目の森川豊さん、7代目の外間政吉さんが、レキオのために特別に集まってくださいました。
さっそくですが、なぜ名護に工場が建てられたんですか?
「いい質問です。それには、2つのことが言えます」と浮島さん。
「1つは、ビールの原料となる水。水の質は、製品のでき具合に大きく影響を与えます」
名護の水質がビールに適していたということですか?
「はい。東京農大にサンプルを送って分析してもらい、ここの水なら心配ないという結果が得られました」
名護の水質の良さが科学的にも証明されたんですね!
「もう1つは、ビールの醸造に欠かせない発酵。いい発酵には、環境が非常に大切です。清浄な環境であればあるほど、いいビールができます」
名護は、清浄な水と環境の2点を満たしていたということですね。
感心する調査員に「ところで、コップ1杯分のビールを製造するには、10杯の水が必要なんですよ」と森川さん。
えっ、そ、そんなに!?
「原料となる水だけなく、発酵タンクを冷やす水や、びんを洗う水も必要になってくるからです」
なるほど〜。今より水が貴重だった創業当時は大変だったんじゃないですか?
「名護は比較的水量が豊富で、山の伏流水も使えたのですが、製造量が増えてくると水の確保に苦労しましたね。そこで、冷却用の水を再利用するシステムを作るなど工夫していました。同じ水を4回再利用していたこともありますよ」
水不足を知恵で乗り切ったんですね。ちなみに、現在は冷却等には県の工業用水を利用しているそうです。
地道な努力で浸透
「われわれ3人は、東京農大の同窓生なんです」と森川さん。発酵学の研究室で共に学んでいた1957年、オリオンビールの前身である沖縄ビールの発足を機に、創業者・具志堅宗精氏の目に止まり沖縄に招へい。本土出身の浮島さん、森川さんは通産省の許可を取り、パスポートを携えて来沖したといいます。
「最初は売れませんでしたよ(笑)。当時は『島グヮー』という意識があって、アメリカやヤマトのビールがいいという感覚があったんです」と振り返る外間さん。具志堅社長を筆頭に、1人平均して1晩で7〜8軒の飲食店を訪問し、地道な営業を続けた結果、徐々に県民に浸透していったのだとか。
オリオンビールの歴史を生き生きと語る3人の年齢を聞き、びっくり。浮島さんは91歳、森川さんは88歳、外間さんは85歳。とてもそうは見えません!
「栄養豊富なビールをたくさん飲んできたからですよ」と笑う3人の歴代工場長とオリオンビールでカリーし、調査を締めくくった調査員でした。ああ、幸せ〜。