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[No.1680]

  • (金)

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「島ネタCHOSA班」2017年07月06日[No.1680]号

県内唯一の万年筆専門店

 先日那覇市久茂地を歩いていると、「渡口万年筆店」という看板を見つけました。調べると86年続いているようで、びっくりしました。ぜひ調査してください。

(宜野湾市 万年素人さん)

県内唯一の万年筆専門店!?

 80年以上も続く万年筆専門店ですか? これは初耳です。ネットで「渡口万年筆店」を調べると、出てくる、出てくる! 文房具好きの人々がブログなどにこぞって来店レポートを紹介しています。どうやら万年筆マニアの間では、知る人ぞ知るお店のよう。さっそくお店に直行です。

1931年創業の老舗

 那覇市久茂地に向かうと、雑居ビルの下に看板を発見。恐る恐るお店のある2階に上がりドアを開けると、店主の渡口彦邦さん(78)が出迎えてくれました。いまも昭和の雰囲気が漂う店内には、万年筆やペン、インクなどが並びます。「博物館みたい」という人がいるというのも納得です。

 創業はいつですか。

 「私が2代目で、先代の父(彦一)たちが兄弟3人で1931年に始めました」

 きっかけは何だったのでしょう。

 「大阪に出稼ぎに行っていた父の兄、彦栄が帰沖前に土産を買いに行ったことがきっかけです」

 万年筆を見て、沖縄で販売することをひらめいた彦栄さん。万年筆の製造元に直談判に行き、安く仕入れることに成功。沖縄に帰る船の中、万年筆を他の客に見せると、持っていた5ダース、全て売れたそうです。

 「当時、万年筆は偉い人が持つもので憧れでした」と彦邦さん。希少な高級品が安く手に入ると、客に好評だったそうです。

自社ブランド製品も販売

 1931年に彦栄さんは弟の彦三郎さんと嘉手納に店をオープン。当時、フィリピンの麻山で農業移民として働いていた彦一さんの元にも5ダースの万年筆が届きました。彦一さんはフィリピンで万年筆の行商を開始。日本人の間で好評だったそうです。

 「沖縄の店が自社ブランドをフィリピンに輸出していたのは前代未聞だと思います」

 自社ブランド!?

 「オリジナルブランド『富士ト』『富士T』を販売していました。本土の工場で1960年代まで作っていました」

 それは、確かに前代未聞です!

 沖縄に戻った彦一さんは名護支店を経営。当時、嘉手納と那覇、名護に店舗を構えていたそう。戦後、他の兄弟は万年筆販売から撤退。彦一さんだけは、万年筆店を続けたといいます。

 店の奥にひときわ目を引く機械がありますが…。

 「万年筆にネームを入れる彫刻機で、50年前の精巧な機械です。日本に1台しかないかも」と彦邦さん。

 ペンの軸やキャップ部分に名前を彫る機械で、針はダイヤモンドでできているといいます。紙に文字を書き、それをなぞると、縮小したそのままの筆跡が万年筆に彫られるというもの。操作には熟練の技術が必要です。

 調査員も彦邦さんが書いた文字で万年筆に名前を彫ってもらいました。彦邦さんの筆跡そのままの文字が彫られた万年筆。世界に一つしかない貴重な万年筆が出来上がりました。

 彦邦さんに書き方を習い、万年筆で文字を書いてみると、ペン先の角度によって太さも変えられたり、漢字の「トメ、ハネ、ハライ」もできたりして楽しい! さまざまな表情があって書くことが好きになりそうです。

 万年筆の仕組みから、書き方、戦時中の体験など貴重な話に、時間を忘れて聞き入ってしまった調査員。もっと万年筆の魅力を多くの人に知ってもらいたいと思いながら現場を後にしたのでした。



渡口万年筆店
那覇市久茂地2-21-1
098-863-2075

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県内唯一の万年筆専門店
渡口彦邦さん
県内唯一の万年筆専門店
沖縄戦遺骨収集作業で、遺骨と共に発見された万年筆。うっすら渡口万年筆のマークが見えます
県内唯一の万年筆専門店
万年筆にネームを彫る彦邦さん。機械の部品はもう手に入らないため、大切に扱っています
県内唯一の万年筆専門店
店内に保管してあった自社ブランドの万年筆
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