「島ネタCHOSA班」2018年11月15日[No.1751]号
昔、開南のバス停留所に時計塔があったと聞きました。本当でしょうか?
(那覇市 バス大好きさん)
開南バス停にあった時計塔!?
開南のバス停に時計塔? 聞いたことがありません。時計塔を知っていそうなところへあちこち電話してみても分かる人がおらず、資料も探せないとのこと。そんな中、「バス会社に聞いてみたら?」という人が。なるほど、バス関係者なら知っているかもしれません。それでは、はりきって調査に行ってきます!
バス利用者に重宝?
まずは沖縄バス株式会社へ。すると、現在同社で勤務している最高齢の社員、山城健一さん(71)を紹介してくれました。さっそく、南城市の親慶原出張所で運行管理をしているという山城さんを訪ねると―。
「私は1972年、復帰の年に沖縄バスに入社し、25歳から48歳まで糸満線、志多伯線、東風平線の3系統を担当していました」とのこと。つまり、運転手として開南バス停のある路線を23年も走っていたのです! それなら、時計塔のことを覚えていますよね、山城さん!
「う〜ん、覚えてないね」
え…。やっと時計塔を知っている人に会えたと思ったのですが、残念です。調査員は気を取り直して開南へ足を運ぶことにしました。
とりあえず、古くからありそうな店に飛び込むと、そこには60代後半の店主がいました。聞けば、子どものころからこの近くに住んでいて、時計塔があったのも「覚えている」というではありませんか! 店主は「そのころ時計を持っている人は少なかったから、バスを利用する人なんかは重宝したと思うよ」と話します。さらに、昔の風景画が飾られているカフェが近くにあるといい、「開南バス停の絵もあるから見に行ったらいいよ」と教えてくれました。
風景画の中に
そこは「ギャラリーカフェ&バー 画亜歩(があぶ)」。画家の新城喜一さん(85)の絵が展示されている店でした。運良くご本人にお会いすることができ、開南バス停が描かれた絵を見せていただくと―。そこには時計塔も描かれています! あぁ、幻の時計塔がここに…。それは1964年ごろの風景画でした。
長年、開南バス停近くに住み、いまでもここからバスに乗るという新城さん。当時は、時計塔の時間を見たりしていましたが、いつのころからか動かなくなっていたそうです。
「はっきり覚えていませんが、時計は当時そこにあった交番と一緒に、道を工事するときに撤去されたんじゃないかな?」とのこと。そして、「昔はマチグヮーへ行くために南部からバスで来る人がいっぱいいた」と開南が賑わっていたころの話などいろいろ聞かせてくれました。
◇ ◇ ◇
調査員は時計塔についての記事がないかと70年前後の新聞をめくり、「寿命になった時計塔 修理不能で新しく設置へ」(71年6月15日)の見出しを発見! 59年に横浜市の沖縄県人会の方が中心となり「戦災で心のやり場を失った市民に、社会生活向上に役立てば」と贈られた時計だったことが分かりました。「開南交番所前の最も混雑する場所に設置、11年間も市民に親しまれてきた」と記されています。その後のことは定かではありませんが、72年から開南路線のバスの運転手をしていた山城さんが覚えていないということは、復帰前にはなくなっていたのでしょうか? どなたかご存じの方がいたら教えてください!