沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.2000]

  • (金)

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「島ネタCHOSA班」2023年09月07日[No.2000]号



 レキオ2000号にちなんだ今回は、沖縄の2000年前の姿を知ってみたいと思います。 約2000年前~1100年ごろまで続いた、沖縄独自の時代区分「貝塚時代後期」につい て調べました。うるま市内の遺跡や遺物からはるか昔の暮らしに迫りますよ。

約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る

 2000年前の沖縄、皆さ んは想像できますか? 調査 員はまず、県内の埋蔵文化財 に関する資料をいくつかめ くってみました。すると、現 在のうるま市の範囲には、 2000年前を含む貝塚時 代後期の遺跡が多いことが 判明。この時代について深め てみましょう!

狩猟採集が中心

 調査員がやってきたのは、 うるま市立与那城歴史民俗 資料館。教育委員会文化財課 の横尾昌樹さんにお話を聞 くことができました。

 だいたい2000年前の 沖縄を知りたい、という調査 員に少し困ったような横尾 さん。「具体的に説明するの は難しいのですが…」と前置 きして、貝塚時代後期につい て教えてくれました。

 7000年前〜1100 年ごろとされる貝塚時代は、 沖縄独自の時代区分です。約 2000年前から始まる後 期は、日本本土だと弥生時代 〜平安時代に当たります。考 古学では、沖縄島とその周辺 離島には、本土と同じ時代 区分が適用されません。主な 理由は、稲作に代表される農 耕をせず、狩猟採集を基本と した生活を続けていたから です。

 発掘調査した遺跡を、貝塚 時代後期のものと判断する 特徴は、①集落跡が海岸線 に沿うようにある。②交易品 となる貝殻を集めた「貝集 積」と呼ばれる遺構がある。 ③「アカジャンガー式土器」 などこの時代特有の遺物が 見つかる。大まかなポイント を横尾さんが教えてくれま した。  

弥生人と交易

 うるま市内の貝塚時代後 期の遺跡としては、宇堅貝 塚、アカジャンガー貝塚、具 志川グスク崖下遺跡、津堅貝 塚、平敷屋トウバル遺跡な ど。また、世界遺産・勝連城 の城郭内からも、発掘調査に よって貝塚時代後期の土器 が見つかっています。

 宇堅貝塚からは、ガラス製 のビーズ、鉄斧、銅鏡のかけ らなどが発掘されました。い ずれも当時の沖縄では製造 できなかった品々。九州の 人々と交易をしていた証拠 になるそうです。「弥生土器」 まで発掘されています。弥生 時代と貝塚時代、異なる文化 を持った人々が海を越えて 交易をしていたなんて、ロマ ンがありますね。

 市内に貝塚時代後期の遺 跡が多い理由として、横尾さ んは金武湾の地形に着目し ています。「絶好の漁場があ り、交易にも適している。弥生 人にとっても目指しやすい場 所だったかもしれません」。そ う仮説を話してくれました。

 今回お伝えできた貝塚時 代後期の謎と魅力はごくわ ずか。うるま市内には、発掘 調査の結果を展示している 施設があります。足を運ん で、はるか昔の人々に思いを はせてみませんか。



〈うるま市内で貝塚時代に関する展示が見れる場所〉
うるま市立与那城歴史民俗資料館
うるま市与那城中央1
☎ 098‐978‐3149

あまわりパーク歴史文化施設 うるま市勝連南風原3807‐2
☎098‐978‐2033

※遺物の写真はいずれも宇堅貝 塚から発掘されたもの(うるま 市教育委員会蔵)

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約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る
九州の弥生文化で作られたと されるガラス製のビーズ
約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る
うるま市教育委 員会文化財課グ スク整備係係長 横尾昌樹さん
約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る
貝殻を使った装飾品のかけら。 貝塚時代の交易において、沖 縄から輸出されたのは装飾品 の材料となる、イモガイなどの 貝殻でした
約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る
宇堅貝塚から出土した弥生土器のかけら
約2000年前の沖縄?! 貝塚時代後期を知る
九州の弥生土器の影響を 受けて作られた土器
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