「ワシントコポスト」2023年12月21日[No.2015]号
クリスマスの思い出は、何といってもツリーの飾りつけ。当時、叔母から譲ってもらった180㌢のツリーがわが家にありました。
父がイブの1週間前ぐらいに設置。それの飾りつけをしてました。サンタクロースやオーナメントボール、綿を所々考えながら飾っていたのを覚えています。そのツリーも今はもうありませんが、町のツリーを見るたびに思い出します。
(宜野湾市 ヤン)
(編コメ)180㌢のツリー、壮観だったことでしょう。飾り付けはちょっと大変そうですが、それも含めて楽しい思い出ですね。
図書館で働いていた頃の話です。
「サンタなんかいないよ。僕の家には一度も来たことないし!!」と4人兄弟の末っ子がボソッというのを聞いて、「サンタより」と書いて郵便局からK君にプレゼントを贈った。
当日、笑顔のK君が来て「サンタさんって本当にいるんだね!」と笑顔で伝えてくれた。
しかし、それにはオチがあった。配達員に聞き「先生ありがとう! 弟には言ってないからね!!」とお礼を言いに来た6年生のお兄ちゃんの配慮がうれしかった。今でも忘れられない。
(南城市 マヌ・タガヤ)
(編コメ)プレゼントは、贈った方も温かい気持ちになれるものですよね。弟思いのお兄ちゃんのフォローも泣かせますね。
昭和34年、小学6年生の頃はクリスマスの習慣はなかった。集落と隣合わせの米軍消防施設はクリスマスの日は一般に開放した。軍で働く両親からホットドッグ券やジュースの引換券をもらい、夕方、会場まで1・5㌔を友だち5人と歩いていった。 芝生がきれいに刈り込まれて電気もついて、灯油ランプ生活にはまぶしかった。初めて食べたホットドッグやいろいろなジュースは夢のようだった。プレゼントをもらい、帰りは中身にワクワクして暗い道路も軽快で話もはずんだ。 貧しい時代、クリスマスは待ち遠しかった。
(南城市 平良礼次)
(編コメ)昭和34年のクリスマスの思い出をつづっていただきました。貧しかった時代にアメリカ式のクリスマスに触れ、食事やお菓子などの豪華さに驚いたという体験をされた方は多いようですね。
最近年のせいかトイレが近くて困る。いつも出かけ先では、トイレがどこにあるか探している。
公共トイレでは、バッグを下げる場所が高くて届かない事がある。それが先日ある施設を利用した時の事。背の低い私でも下げられる高さにフックがあるのだ。通常の高さにも付いている。うれしかった。思いやりに感謝である! あちこちに広がってくれると良いのだが。各施設の担当者さま、よろしくお願いいたします。
(糸満市 とっしー)
(編コメ)さまざまな人が設備を使いやすくする、こういうちょっとした工夫、すてきですね。各施設の担当者さま、ご検討いかがでしょうか?
先日、姪(めい)っ子、甥(おい)っ子と給油所で洗車。洗車ブラシが泡ブクブクと車を洗うのを間近で見る二人は「おもしろーい、たのしー」と大興奮。洗車が終わった後も「もう一回乗ろう!」って言われました。
「乗り物じゃないんだけどなー」と思いましたが、二人には遊園地のアトラクションのような感じに見えたんだろうなー、って思い少し笑ってしまいました。
(那覇市 匿名儀保)
(編コメ)なんとなく子ども時代を思い出してクスリと笑ってしまいました。子どもの心には、いろいろなことが楽しく、また不思議に映っていますよね。
皆さんの「やめられない! 止まらない!」ものって何ですか?
私は、「ベルマーク集め」なんです。お菓子袋などに付いている、点数が記載されているベルのマークです。商品を買う時ベルマークが付いてないかどうしても見ちゃうんです。
台所にはハサミと箱を設置していて、袋を捨てる前にチョキチョキ。それが私のやめられないものなんです。
参加は学校などが対象ですが、集めたベルマークを財団に送るとボールや楽器、教材などと交換してくれるのです。子どもが小学生の頃ベルマーク委員をしていて毎月1回集まってワイワイ雑談をしながらマークの振り分けや発送作業をし、全クラスにボールを配布できた事を今でも思い出します。よく行く近所のスーパーに箱が設置されているので、集めては4等分に分けて投入してます。
今も各学校でベルマーク委員の皆さまが頑張っていらっしゃるんでしょうね。孫が小学生になったら、おばあちゃんですが、ベルマーク委員の一員になれたらいいなぁ~と切に願っています。
(那覇市 ももおばさん)
(編コメ)子どもが卒業しても、ベルマーク集めで母校を応援している方も多いそうですね。ももおばさんが書いておられるように、店内に収集箱を置いて、集まったら学校に持ち込んでいるお店などもあります。ベルマーク運動の応援、読者の皆さんもいかがですか?
朝夕冷え込んできましたね。寒さに弱い私ですが、元気に過ごしてます。それはかわいいい姪(めい)のおかげかな?
社会人になりたての頃、覚える業務は多いし、電話応対は使い慣れない敬語に舌が回らずシドロモドロ。毎日ミスだらけで元気をなくしていた私。2歳の姪が自分の頭をポンと叩き、私の頭にげんこつをしてきた。
一瞬、ムッと怒りがこみ上げてきましたが、大きくなったらアンパンマンになりたい姪は、私を元気づけようとして、自分の頭から私の頭に元気を分けてくれたようです(アンパンマンは元気のない人に自分の顔をあげて、元気を分け与えるることができる)。
姪の温かい思いやりの心に涙腺崩壊。元気を分けてもらえたおかげで元気100倍、楽しく過ごしてます。
(うるま市 りんりんラブ)
(編コメ)なんとやさしい姪ごさん! 2歳にしてその思いやりの心、ただものではありませんね。きっとこれからも、アンパンマンのように周囲の人にたくさんの元気と幸せをくれることでしょう。