「ワシントコポスト」2023年12月14日[No.2014]号
師走になると街はクリスマス一色に染まる。店頭にはサンタのお面や色鮮やかなゴムマリ、おもちゃの刀やピストルなど子ども向けの玩具が並ぶ。当時、通りを歩き色とりどりの玩具を見るだけの、うらやましい毎日だった。60余年前の那覇の平和通りの風景です。
街は華やいでも、子どものころは裕福ではありませんでした。小遣いをもらったこともないし、たまにお菓子を買ってもらうが、焼き菓子やせんべいなどでチョコレートや洋菓子などを食べたことがなかった。そのころ小学校では教会に行くとお菓子がもらえる、しかも外国製とのうわさがあった。25日、数人の友だちと行くと大勢の信者の中にお菓子目当ての„同類"も多数いた。祈りを終え退室口では、菓子類を詰めた小さな袋が配られた。こんなにおいしいキャンデーやチョコレートなど洋菓子を食べたことがなかった。
クリスマスソングが流れる華やいだ街と教会で配られたお菓子や軍雇用員だった父が職場のクリスマス会から持ち帰ったごちそうなど、至福のひと時の光景が走馬灯のように駆け巡り、心地よい懐かしさが心をよぎります。
(西原町 はるがきた)
(編コメ)豊かと言い難い時代、お菓子やごちそうはまぶしく感じられたことでしょう。
今から15年前のクリスマスに、当時6歳だった次男は、サンタさんに自分だけのピザをお願いしていました。クリスマスの朝に、次男の枕元に箱に入った大きなピザのプレゼントが届き、それを見た次男は、大喜びで、自分の膝に抱え、おいしそうに食べていました。生まれてはじめての自分だけのピザは、とてもうれしかったようで、一人で完食しました。
(那覇市 メリクリ)
(編コメ)クリスマスプレゼントにピザというユニークな発想に驚きました。一人でまるごと食べてみたかったという気持ち、よく分かります(笑)。