「表紙」2012年01月12日[No.1398]号
「”女性だから“とか”子持ちだから“と気を遣われると、何言ってるの? と頑張るタイプ。負けず嫌いなんですよ」。県内では数少ない国家資格を持つ現場女性警備員であり、2児の母である仲村なつねさん(34)。警備は昼夜・祝祭日もないシフト制で、家族協力しながら多忙な日々を送る。「周りの人に助けられてきたから、大変だと感じたことはないんです」と、明るく前向きに話す仲村さんには、これまでの人生で何度も転機があった。
人に支えられ、走り続ける
中学のころ、生活は荒れていた。高校でも夢や意義を見出せず、ほとんど通学せずに退学。その後、すぐに妊娠に気付く。16歳だった。
「うれしかったんです、とってもとっても。赤ちゃんを授からなかったら、今は生きてないと思う」
お母さんになれる―。自分の中に宿った小さな命を希望に、生活は一変。臨月まで弁当屋で働いた。
「以前の私からしたらうそのよう。一生懸命でした」
しかし、そこは10代。すべてが手探りの中、育児本で頭でっかちになり、取り乱したこともあった。
「でも私、良い人に囲まれているんです」
最初の印象的な出会いは、若年妊婦・若年ママ宅を巡回訪問する市の保健婦だった。
「育児は育自よ、自分育てよ。お母さんはだれでも悩んでいるのよ。もし赤ちゃんに手を上げそうになったら、明日叩こうって思ってって言われて」。
そして、孫を何よりもかわいがり、全面的にバックアップしてくれる父が、今も仕事と家庭の両立に欠かせない存在だ。
「頑固だと思っていた父が、孫、孫、孫って。うれしかった。家族が一つになった気がしました。子どもってすごいなーと思います」
21歳の時、知り合いの紹介で警備の道へ。女性が必要と言われ、就いた仕事は”万引きGメン“。 万引き、盗撮と毎日格闘した。
「子どもだったり、同じ年の子どもを持つ主婦だったり、お年寄りとか、身なりのきちんとした人だったり…。でも、通報することでこの人の人生を変えてしまうのではないか、と葛藤もありました」
つらいことも多かったが、今も印象に残っている出会いもあった。
「当時、中学生だった男の子が、就職したよってケーキを持ってきてくれて。お父さんになったよって報告にも来てくれました」
警備の仕事は、その人の人生を立て直すこともあるんだ―仲村さんは、仕事の意義を現場で見つけていく。
24歳で長男・真輝さんが生まれる。しばらくしたころ、長女・真琴さんに泣いて懇願された。警備の仕事を辞めてほしい、と。
「けがが絶えなくて。殴られるんです、女性警備員だから。万引き犯が目の前で自殺しようとしたり、精神的にもつらいのを長女も感じていたのかもしれません」
一時、電話会社で接客を担当するも、30歳で再び警備の仕事に戻る。
「長女が、警備していた時の方が輝いていたから、戻って良いよって。お姉ちゃんはしっかり者で、長女が長男を育てたようなものです」
「お父さんのようなお母さん」(真琴さん)、「怒ったら半端なく怖い」(真輝さん)というコメントを聞き、「お母さんは、お父さんにも友達にもならないといけないんだから。お母さんの代わりはいないでしょう」と3人で笑い合う。「仕事柄、子どもたちには寂しい思いをさせたかもしれません」と話すが、家族3人、普段のコミュニケーションの深さが伝わってくる。
「子どもたちが私を気遣ってくれるから、仕事を続けられますね」
中途半端は許せない性分で、先輩からの助言もあり、国家資格取得にも積極的に取り組んだ。その資格を生かし、現場を束ねる責任者であり、指導者でもある。
男性が圧倒的に多い警備の世界。将来の夢を聞くと、まっすぐな目で答えた。
「女性を指導したい。女性の可能性を引き出したいんです」
全身からあふれ出るバイタリティーで、自然と周りを応援団にしてしまう仲村さん。彼女はこれからも前進し続ける。
島知子/写真・島知子