「表紙」2012年11月22日[No.1443]号
女性の視点生かして
建築士になりたい—。小学6年で芽生えた夢を27歳で実現させた安富祖理絵さん(34)。浦添市前田の合同会社アン一級建築士事務所の代表社員として、2児を育てながら仕事に励む。出産当日まで働き、産後も数週間で復職。産休・育休でクライアントや現場に迷惑をかけないよう、仕事を最優先に突き進んできた。また、自身の子育てを通して、家作りの視点が大きく変化。「建築は自分の生活が生かせる仕事」と、女性ならではの「生活者の視点」を建築に取り入れ、育児と家事が楽しくなる家作りを目指している。
家事楽にして家族仲良く
安富祖さんにとって、建築は幼少から身近なものだった。那覇市役所で建築の専門職を務めた父・富元保男さん(68)を現場に迎えに行ったり、休日に建物を見て回ったり…。建築士になる夢は、自然なことだった。
琉球大学工学部卒業後は、奈良県の設計事務所に勤務。2年の実務経験で1級建築士の受験資格が得られるため、沖縄に戻り、アルバイトをしながら試験勉強に励んだ。1次試験の学科は2回目で合格。2次の設計製図試験も2度目の挑戦で合格。27歳の時、3年がかりで1級建築士の資格を取得した。
その後、大学の同級生だった耕司さん(35)と結婚。30歳で独立し、実家の敷地内に事務所を構えてすぐに、長女・百蘭(もか)ちゃん(4歳)を出産。陣痛に気付かず、出産前日まで勤務。産後数週間で百蘭ちゃんと事務所に出勤し、そばで見ながら仕事をした。
安富祖さんの主な仕事は住宅やアパートの設計だ。クライアントの要望を聞き、敷地に合わせたプランを出すことから始まる。建物の構造計算や建築確認申請、電気などの設備を決めて現場に入るまで、個人住宅で約5〜6カ月、アパートは約3〜4カ月かかるという。また、複数の依頼を同時並行で進める。
独立前は夕方から打ち合わせが入るなど、夜型の生活だった。しかし出産後、働き方は一変。「残業ができないので、午後9時に子どもと一緒に寝て、午前3時ごろに起きて午前6時まで仕事をしています」。早朝の静かな時間を有効活用している。
今年2月、長男・杜理(とうり)君(9カ月)を出産。出産当日まで事務所で働き、病院へ。「現場をストップできないので、産休・育休は取れません。休むと引き渡しの希望日に沿えなくなります。そうなると『男の建築士に頼んだ方がいい』となりますが、それでは悔しい」
出産、育児という女性特有のライフステージのため、男性同様に働く難しさを痛感している。しかし、子どもを持ったことで、家作りの目線が変わった。
「女性建築士の強みは、『生活感』。家作りでは生活が重要な課題で、細かい気遣いが大切です。子どもの有無で視点が全く違います」。日々の家事で不便に思うことを課題にし、クライアントに良い提案をしていく。
共働きのクライアントには、家事をしながら子どもとコミュニケーションがとれるよう、キッチンのそばにスタディースペースを提案。また、ガスコンロのそばに扉をつけ、揚げ物などの際、子どもが火に近づけないよう気遣う。「女性が社会で活躍する手助けをしたいので、もっと家事が楽になってほしいと常に思っています。家事が楽になれば、気持ちにゆとりが出て、家族が仲良くなれるかなと」
現在は、両方の実家や義姉らに杜理君を預ける。百蘭ちゃんの保育園の送迎は耕司さんが担当。「夫と両親、周囲のみんなに感謝しています」と、仕事に打ち込める環境に感謝する。
自身を「建築病」と言う安富祖さん。「何かを作っていくことがすごく楽しい。学んだものを全て生かせることにやりがいを感じます」と目を輝かせる。
目標を聞くと、「さらに上を目指して建築家になること」。力強い返事が返ってきた。「『建築家』に免許はなく、周囲に認められてなれるものです。一般的に『30代は書生、40代は建築の怖さを知って、50代に自分の作品を作る』といわれます。50代で建築家になるために、一つ一つの作業をきらっと輝かせられるよう頑張りたいですね」。子どもの頃の夢を大きく花開かせるため、日々の生活を大切にしながら建築と向き合う。
豊浜由紀子/撮影・桜井哲也
県立開邦高校理数科、琉球大学工学部環境建設工学科を卒業。奈良県の設計事務所で2年間勤務。27歳の時、1級建築士に合格。県内の建築士事務所に勤務後、30歳でWork Stackを設立。2008年に社名を合同会社アン一級建築士事務所に変更。「アン」は夫・耕司さんの名字「安富祖」の「安」から取ったという。百蘭ちゃんと杜理君の子育てを良い家作りに生かしている。
1級建築士と2級建築士は建築士法に定められた国家資格ですが、2級は扱える建物の規模に制限があります。1級は制限がなく、全ての施設や建物の設計、工事監理を行うことができます。2級建築士として実務を経験した後、1級の資格を取得することも可能。