「表紙」2013年02月21日[No.1455]号
5代目の気負いなく
澄んだ空の下、朝露に濡れて収穫を待つキャベツ。糸満市照屋の畑で神谷正人さんが、かがんだ姿勢で一つ一つ出来を確かめながら、根本をザクザクと切り、収穫していく。「朝5時には畑に出ます。その日のうちに出荷するんですよ」と、冬でも日に焼けた顔で話す。露地で栽培する春キャベツは、外葉がしっかりするので、中の葉は軟らか。それでいてずっしりと重く、甘みが特徴だ。「農業に携わって自分で5代目、だよな」と向ける視線の先には、父・政範さん(57)。二人三脚で作業を進める息子を見て、父は優しくうなずいた。正人さんはおっとりした口調の中にも、農業に対する熱い思いを持っている。
父の背中を追いかけ
物心ついたころから、父や祖母、家族が畑にいる姿が日常の光景だった。「小さい時から畑は手伝っていましたが、農家になるつもりはありませんでした」と語る通り、高校卒業後、一度は会社員として就職した。
しかし、祖母が農業を引退し、たった一人で約1000坪の畑を管理する父の姿を見て、2年前に転職を決めた。「神谷家は、僕で5代続く農家です。弟は別の仕事で落ち着いているし、長男として意識はしていたかもしれないですね」と、表情を引き締める。
初めて会った時、神谷さんが誇らしげに差し出したのは、父・政範さんの名刺。「糸満地区のキャベツ専門委員長なんですよ」と話す息子を優しく見やり、「農家としてはまだまだですけど、頑張り屋ですね。若いし、体力もあるし、助かっていますよ」と、父も評価する。
5代続く農家の経験をもってしても、農業は自然との闘いだ。6カ所で約1000坪の畑を管理することは、想像を超える努力と忍耐が必要だろう。
「まず、種から一度に2万本の苗を育てます。それを日を開けて定植して、次々に出荷できるようにするんですが、台風にもやられます。露地なので、荒れた天気の中でビニールをかぶせたんですけど、水と風で1回分以上ダメにしてしまって」
その状態になると、また一からのやり直し。育ち始めたキャベツを処理し、畑を整え、定植し…。それを父と二人、黙々と続ける。
また、時期や世の中の流れによって、野菜のニーズも違うと神谷さんは言う。慢心することなく、豆やコーンなど多品種の野菜作りにも二人でチャレンジし、そのノウハウをしっかりと次代に受け継がせたいというのが、父の願いだ。
作業は、常に中腰。朝5時から、極力農薬を使わず、雑草を取ったり、巻き込み具合を確認したり。収穫時は、2㎏ほどにずっしりと重く育ったキャベツを一つ一つ丁寧に収穫し、外の葉を処理して箱詰め。糸満市西崎町にある直売所「ファーマーズ・マーケットいとまんうまんちゅ市場」に卸すころには日も高くなっている。
「甘くて、おいしいですよ。自分でもよく食べます。ロールキャベツとかおしゃれで難しい物は作れないですけどね」
自身で手塩にかけたキャベツを収穫することが、一番の喜びと、うれしそうに話す神谷さん。幼いころ、家族と共に畑で過ごし、農業の大変さよりも楽しさを体で覚えた5代目ならではの、純真さと大らかさを感じさせる。神谷さんが直売所に並べるキャベツには、今も祖母・治子(79)さんの名が冠されている。
「直売所へは、品薄になっていないかどうかの確認だけじゃなく、買ってくれる人の顔も見に行きますよ」
糸満でキャベツを作る生産者・約30人での勉強会も大切な時間だ。地域全体で消費者に喜ばれる野菜を提供することが「生産者の責任」だからだ。
「将来の夢は、親父を超えることです。こんな大変な事を一人でやっていたんですから」。目標であり、憧れである父の横でそう語る神谷さんに、迷いはない。
島 知子/写真・桜井哲也
かみや・まさと 1979年生まれ、糸満市出身。
2人兄弟の長男。県立南部農林高校卒。農業を学んだが、当初は農家は考えておらず、コンクリートを扱う土木会社へ就職。2年前、父が6カ所合わせて約1000坪の畑を一人で管理する姿に憧れ、農業の道へ。冬場はキャベツ、夏場はヘチマなど季節に合わせた野菜生産に励んでいる。この時期は、毎日が出荷日のため、朝5時には畑に出て、新鮮なキャベツを消費者に届けるよう努めている。
キャベツと手羽元の水炊き
キャベツの甘みを存分に味わい、量も取れる鍋がこの時期オススメ。手羽元はきれいに洗い、キャベツは8等分くらいのざく切りに。鍋に好みのだしと手羽元を入れます。沸騰したら、ほぐしたキノコとキャベツを入れ、あくを丁寧に取り、キャベツがくたっとしたら出来上がり。鶏のコラーゲンがキャベツとからみます。ポン酢でさっぱり召し上がれ。