「表紙」2013年10月17日[No.1489]号
滑って作って自分流
勢いをつけてスケートボードに乗り、一気に坂を上ってジャンプ! 空中に浮いた一瞬でポーズを決める謝花明徳さん(27)。まるで足にボードが生えたかのように、自由自在に滑る。中学校入学直後にスケボーと出合って15年。県内外の大会やイベントに参加したり、子どもたちにスケボーを教えたりする他、19歳からは壊れたボードを使って写真立てやハンガーなどの小物も作っている。「スケボーはルールがなく自由。自分次第でプレーできるのがいいですね」と、自分らしく楽しんでいる。
壊れたボードに新しい命
スケートボードとの出合いは、仲井真中学校に入学してすぐのころ。友達がスケボーを持っていたことをきっかけに、乗り始めた。「どんどんはまっていったんです。ほとんど毎日、乗っていますよ」
仲間たちのプレーをまねし、技を覚えていった。道路ではなかなか練習できないため、近くの団地の空き地の使用許可をもらって滑るようになった。また、きちんと整備されたスケボー場を作ってもらいたいと、先輩たちと一緒に署名活動にも参加した。
那覇高校、琉球大学に進学後も、同級生が部活動に励むようにスケボーに情熱を注いできた。「スケボーはルールなどがなく自由なんです。同じ技をやっても、人によって形が違ってきます。ユニホームもありません。日常の服装そのままが滑る格好です」とその魅力を語る。
現在は南風原町役場に勤務し、町宮平にある那覇空港自動車道の高架下を活用した「花・水・緑の大回廊公園」で管理人を務める。中学生の頃の署名活動が実ったスケートボード場などがある公園で、職場兼練習場だ。
「朝から晩まで」と話すほど、スケボー漬けの生活は昔から変わらない。今でも一日3、4時間ほど練習している。「休みの日は一日中、滑っていますよ。本当に飽きないですね。暇さえあれば滑っています」と笑う。県内外の大会に参加する他、多い時は月に2、3回、県外でのスケボーイベントのデモンストレーションで技を披露している。
写真立てなどを制作
もともと工作が好きだった謝花さんは、「いずれ何か作れたらいいな」と壊れたボードを保管していた。1台1万円前後するという木製のボードは、早い時は1カ月もたないという。乗り方や立つ場所などですぐに折れることもあり、買った初日に壊れたこともあるそうだ。
19歳のころ、ふと思いついて棚を作った。ボードの大きさをそろえ、四隅に支えを取り付けて重ねた簡単なものだが、今でも部屋で愛用している。
その後、友達にプレゼントするために写真立てを作った。魚釣りで使用するルアー、栓抜き、ハンガーなどアイデアが浮かぶと制作に取りかかる。中でも難しくて1週間かかったというのが、車のカギのリモコンが壊れたことをきっかけに作ったリモコンカバー。どれもボードの色と形を生かしたオリジナルだ。「時間のある時に、ちょっとずつ作っているんですよ。今日は作ってからスケボーしに行こうって」と、マイペースで制作に励む。
ミンサー柄のボード
「こういうのに乗りたいなと思って作りました」と見せてくれたのは、八重山ミンサーの模様を彫ったボード。「何か模様を入れたいと考えていて、沖縄らしい模様にしようと調べたら、八重山ミンサーならいけそうだと思ったんです」と話す。タイヤがついた面に下書きをし、一つ一つ彫刻刀で彫っていった。「のんびり作って2週間ぐらいかかったかな」。赤いボードに彫った木目が美しく映える。現在も大切に乗っているという。
「そうだ、このTシャツも自分で染めたんですよ! 滑っている時も、作っている時もどっちも楽しんでいますね」と少年のような笑顔を見せる謝花さん。今日もいつもの場所で、のびのびとスケボーを満喫しているのだろう。好きなことを自分らしく、思いっきり楽しむ。そんな生き方がとてもかっこよく見えた。
豊浜由紀子/写真・呉屋慎吾
仲井真中学校入学後すぐにスケートボードと出合う。那覇高校、琉球大学工学部に進学後も部活やサークル代わりにスケボーの練習に励む。19歳から壊れたボードを使って写真立てなどの作品を作りはじめる。現在、南風原町役場に勤務し、「花・水・緑の大回廊公園」の管理人を務めながら、県内外の大会やイベントに参加。子どもたちへの指導も行っている。