「表紙」2014年05月15日[No.1518]号
那覇市の平和通り。牧志公設市場雑貨部の建物の前に緑色のブラジル国旗がはためく。ブラジル雑貨店「Punga Ponga(プンガ ポンガ)」だ。店主の翁長巳酉(みどり)さんは12年間ブラジルに住んだ経験がある。1年前、若いころ通っていた市場に店を開いた。「ここのおばさんたちは、今も昔も変わらずパワフル。圧倒されますよ」。笑い声を上げる翁長さん自身、パーカッション(打楽器)奏者でもあり、ドキュメンタリー映像作家でもあるパワフルな女性だ。そのパワーの源を探った。
パワフルに活動楽しむ
ブラジル雑貨店「Punga Ponga」の荷台には、店主の翁長巳酉さんがブラジルから仕入れた、羽の付いたアクセサリーや鮮やかな緑色と黄色の帽子、缶ジュース、ブラジル国旗がデザインされた傘やマグカップなどがぎっしりと並ぶ。
決して万人受けする店ではない。客は珍しい物が好きな観光客だったり、県内に住むブラジル好きな人だったり。しかし、興味のない人には少し不気味な置物でも「一目見て『これ買います』っていう人がたまにいるんですよ。『えっ本当に?』ってこっちがビックリ。そういう人とおしゃべりするのが楽しくて」と翁長さんは言う。
根付いた芸能記録
現在50代の翁長さんは市場に近い久茂地小学校、那覇中学校に通い、当時の市場の活気を肌で感じて育った。「復帰の前後だから、地元の客であふれていたね」とふり返る。愛郷心から市場に店を持ったのかと思ったら「公設市場だと借りるのが安かったから」ときっぱり。その歯に衣着せぬ性格が人を引きつける。
若いころから音楽とデザインに興味があった。高校卒業後、東京でデザインを学び、編集業に携わる傍らバンド活動をしてきた。当初はベースを担当。しかし興味の対象は打楽器に向かい、サンバのチームに入った。そして1990年にブラジルへ。「打楽器をするのだから、現地で見ないとと思って。最初は3カ月で帰る予定だったんですよ」
結局、12年間滞在した。現地の日系紙で働きながら、サンバチームの練習を見て回った。音楽学校の打楽器課程に入り、ブラジル全土を回って地域の芸能に触れた。
映像作家として活動を始めたのはこのころだ。「見たいものが映像でなかったから、自分で撮ることにしました」。地域でほそぼそと続く民俗芸能を記録した。帰国後は、台湾先住民の芸能をはじめ、那覇の市場の女性たちの戦争体験や、テニアン生まれで戦争を体験しブラジル移民となった県系人の苦難の証言も記録した。作品にしたDVDは50本。県内外の劇場で上映された作品もある。
打楽器300種類
打楽器奏者としても忙しい。帰国後、東京で音楽活動をしていたが、2009年に沖縄へ。現在はカチンバ1551に参加する他、県内外のアーティストと共演。企画段階から参加し、音楽に合う打楽器の音を提案する。映画音楽にも参加する。自身もサンバの打楽器&管楽器チームBBBを立ち上げ、さまざまな音楽イベントに出演。打楽器のワークショップを各地で開く。
所有する打楽器は300種類ほど。ブラジル、台湾、アフリカなどを訪れた際、地方の祭りで使われる楽器や土産物店で売られている楽器を購入する。名前も分からない楽器もある。貝やカタツムリの殻、木の実を使った楽器もある。「アマゾン、モザンビークなどに似たような楽器があって、でも材質の違いによって音が違うんですよ」
その一つ、翁長さんが「ボンベ君」と呼ぶ楽器を見せてもらった。ブラジルの村で見つけた、ガスボンベの底を切り抜き溶接して作られた楽器。驚くほど優しく美しい音色だ。
好みがはっきりしているという印象の翁長さん。意外にも本人は「嫌いなことがはっきりとしているだけ。嫌いなこと以外は受け入れます」と話す。「だって、その方が可能性は広がるでしょ」
会話の端々から、音楽や映像に対してベタベタしすぎない愛着を感じる。それは市場に対しても同じだ。市場への「特別な思い入れはない」と言う。一方で周辺店舗のHPや動画広告を制作したり、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を市場の人たちに踊らせ生き生きとした動画を発信したり、市場の通りで演奏会やパレードを開いたりもする。型にはまらない発想で地域を盛り上げる活動。それはまるで翁長さんが演奏するパーカッションのようにパワフルで、何より楽しそうだ。
岩崎みどり/ 写真・呉屋慎吾
アドレスは http://www.youtube.com/watch?v=cuSn-S4rGco