「表紙」2014年05月29日[No.1520]号
真っ白い生地を染める、さまざまな色。澤野由布子さん(40)は、大宜味村饒波の自宅兼工房「kitta(キッタ)」で、琉球藍やフクギ、ヤマモモの木の皮などを使って草木染めを行い、ドレスやシャツなどの作品を生み出す。中学生のころから服作りと絵に親しんでいたといい、「布と色が好きなんです」と笑顔で話す。2011年、千葉県で東日本大震災に遭い、沖縄へ。「その時の記憶は、実はあいまい。でも家族のために、(被災地を)出なければと思いました」と移住の動機を語る。一からの出発となった思いを聞いた。
色の温かみを感じて
兵庫県生まれで、中学生のころから、独学で自分の服を手作りしていたという澤野由布子さん。10代後半には友人にも頼まれるほど、そのデザイン性が周りに認められていた。「絵を描いていたこともあって、私は布と色が好きなんです」
各地を旅行し、さまざまな布や色使いと出合い、刺激を受けた。
「使うのは、木綿や麻、シルクやウールなどの自然素材。化学繊維は使いません」と、作品作りは自然素材にこだわる。以前は化学染料を使っていたこともあったが、「染料を洗い流すことで、環境を汚しているということに罪悪感を感じて。自然に負荷をかけないものを使おうと思ったんです」と、当時を振り返る。
震災機に、移住
1999年、旅先で知り合った孝さん(38)と結婚。千葉県鴨川市の自然豊かな街で三人の女の子にも恵まれ、作品作りに没頭していた。
2011年3月11日、一人で自宅の庭にいた時に震災に遭った。「地面が波打つような状況。幸い自宅の被害などはありませんでした。揺れが収まってからは…。子どもたちを学校へ迎えに行ったんじゃないかな」
由布子さんは、その後数日間の記憶があいまいだという。「僕は、外出先で車の中にいました。満潮だったら危なかったかもしれません。子どもたちは、スクールバスで自宅に帰ってきたんですよ」と、孝さんが教えてくれた。
一家はその後、原発事故の映像を見て、「ここから離れなければ」と強く思った。同年5月知り合いを頼って今帰仁村へ移住。そこで琉球藍と出合う。「染色の師匠に『沖縄に素晴らしい琉球藍を作っている人がいる』って教えられて」。訪ねたのは、本部町で代々続く琉球藍製造所。先代が体調を崩し、廃業しようとしていた一家を説得し、沖縄に伝わる琉球藍を自身の作品に使えるようになった。
「赤や黄色などを出したい時でも、琉球藍がベースになることが多いんです」。由布子さんの両手は、その藍の色に染まっている。
虹は平和への思い
12年に、大宜味村饒波に自宅兼工房「kitta」を構えた。旧姓の橘田(きった)に由来する。
由布子さんの作品は、ドレスやタンクトップなど、女性服が中心。1000円の小物から5万円のドレスまで幅広い。「たくさんは作れないので、展示会でのみ発表します。デザインは、『こういうのあったら便利だな』というのが原点。女性は妊娠するなど一生の中で体型が変わるでしょう。その時々にも着続けることができるようにしています」
布へのこだわりは、その肌触り。「自分が着心地の悪いものは売ることができません」。そう言いながら、ふんわりとした巻きスカートを見せてくれた。赤からピンク、黄色などへ変化するグラデーション。「例えれば、きれいな鳥が飛んできたような、美しい花が咲いたような色使いのグラデーションが好き」と語る。
虹色にこだわるのは、平和への祈りを込めているという。「私たちは、自然から十分豊かさを与えられているということ。そして、色はめぐっているということを表現したいんです」
暖色と寒色など、対極にある色でも、細かなグラデーションで結んでいけば、同じ一つの「環」の中にある。由布子さんの作品を見ていると、その気持ちが伝わってくる。
島知子/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)
問い合わせは
☎ 098-958-3239〔水円〕
http://www.kitta-sawa.com/