「表紙」2014年06月26日[No.1524]号
「おはよう」「元気かー」。通学途中の子どもたちに目配りしながら、黄色い旗で車を制止し、横断歩道を渡らせる宮良哲夫さん(64)=那覇市。宮良さんが立つ那覇市国場の県道46号は、小・中・高・大学が隣接し、子どもたちの往来と通勤ラッシュが重なる上、カーブで視界が悪く、信号もない。「息子が小学生の時、同級生がこの場所での事故が元で亡くなってね。推進員を委嘱された時、真っ先に浮かびました」と宮良さんは話す。退職後4年間、雨の日も風の日も黄色い安全服を着て通りに立ち、子どもたちを見守っている。
安全は地域の宝
「現職の時は、地域に目を向ける余裕はなかったんですよ」という石垣市出身の宮良哲夫さん。八重山農林高校を卒業後、兄の影響で警察官に。交通課や少年課、生活安全課などに勤務し、寝る間もないほど多忙な生活だった。
「予定があっても、呼び出されれば駆け付けなければなりません。息子と娘のお産にも立ち会えませんでした」と話す。学校行事への出席もほとんどできず、地域の子どもたちは遠い存在だった。
良い子との出会い
退職を機に、公安委員会から那覇警察署・交通安全推進委員に委嘱された。その時の心境を聞くと、「退職まで忙しかったから、家族は最初反対したんです。でも、何の縛りもないし、朝からダラダラ過ごすよりは、と引き受けました」と話す。
見守り場所は、自宅が上間小学校・寄宮中学校の校区に含まれるからと、悪条件の重なる県道46号沿いの小さな横断歩道に決めた。
「引き受けたものの、いざ現場に立つとどうしていいか分からないものでね。こっちがもじもじしていたら、子どもたちの方から『おはようございます』って声を掛けてくれて。私にとっては、とても新鮮だったんですよ」
警察官として出会った子どもたちはみんな、家庭環境に恵まれなかったり過ちを犯したりした子たちだった。宮良さんは「人生長いから、1度や2度の失敗であきらめるな」と諭してきた。暗い顔をして、「ごめんなさい」と謝る姿が浮かぶ。
「でもね、世の中には、こんなにたくさん素直で良い子たちがいるんだって、驚いたんですよ。当たり前じゃないかって笑われるかもしれないけど、本当に私にとっては喜びだったんです」
月曜から金曜まで、7時半から8時15分の45分間、子どもたちを見守る。「今日は元気ないね」とか「ゆっくりだけど朝寝坊したの?」など、車が通行している間は、積極的に声を掛ける。
いざ、車を一時停止させる時は、前後左右に鋭いまなざしを向け、真剣な表情に。子どもたちの緊張感を保ちながら渡らせて、停止車両に一礼して車を流す。「子どもたちのためとはいえ、目的地に急ぐ皆さんをストップさせるわけです。少しでもイライラを緩和してもらい、感謝の気持ちを表すことで、通る人みんなが気持ち良く思ってくれれば、と心掛けています」
継続が大切
「今ではね、通る人たちが飲み物を差し入れてくれるんですよ。そして、ことしはね…」と急に照れた表情に。3月に卒業した沖縄尚学高校の女子生徒2人に、バレンタインのチョコをもらったそうだ。「『写真を撮るから、もっとくっついてー』って言われて、もう、恥ずかしかったですよ」と笑う。
添えられた手紙には、「これからもダンディーな宮良さんでいてください」との一言が。「今の子どもたちは、積極的というか無邪気というか。かわいいんですよ」と目を細める。
推進委員になってから、上間小学校の給食の時間や、卒業式にも招かれる。わが子のような地域の子どもたちの、学校での普段の表情や晴れの舞台に出席できることは、何よりも楽しみだ。送られた似顔絵入りの感謝状は額に入れて、現役時代の感謝状と共に飾っている。
「安全推進委員は長生きするっていいますよ。子どもたちのパワーをもらっているんでしょうね。これからも健康に気を付けて通りに立ちます。『今日宮良さん休みねー』って子どもたちに心配されますから」。そう笑顔を見せる宮良さん。温かい地域の輪が広がっていく。
島知子/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)