「表紙」2014年08月21日[No.1532]号
亜熱帯の沖縄には、南国のカラフルな花が多く育つ。中でも、ひときわ色鮮やかに輝くのがストレリチアだ。花の形が独特で、鳥がオレンジ色の羽根を広げているように見えるため、「極楽鳥花」とも呼ばれている。「花は声こそ出さないが、態度で語る。毎日見ていると、喜んでいるかどうか分かるよ」と笑うのは、南城市大里でストレリチア農家を営む金城弘子さん。今年で76歳を迎えたが、約1800坪の広大な畑を今も一人で世話をする。
花の声に心傾けて
極楽鳥花の別名を持つ花、ストレリチア。1㍍近くある長く太い茎の先に、鮮やかなオレンジと紫の花を咲かせる。オレンジ色の萼(がく)はとりわけ美しく、まるで鳥の羽根のようにも見える。
原産は南アフリカ。冬でも暖かく、かつ日当たりのよい環境を好むことから、県内で多く栽培され、全国に出荷されている。ビニールハウスでなければ育たない県外とは違い、露地栽培が可能なのも利点だ。
「ストレリチアは、とても気品高い花。国のトップの偉い人が来て演説する時、バックには必ずこの花があるよ。気をつけて見ていてごらん」と金城弘子さんは言う。県外では、極楽鳥花という名前や、南国の楽園をしのばせる印象的な姿形から、冠婚葬祭用の高級花としての需要もあるという。
植物も人間と同じ
そのストレリチア農家が集中するのが、南風原町の津嘉山周辺。あたり一帯には、県内の約半数の農家が集まり、全国一の出荷量を誇っている。かつてはサトウキビの栽培が盛んだったが、管理が楽で、安定した収入にもつながるため、30年ほど前からストレリチアの優良品種株を移入。津嘉山とその周囲に広がっていった。
津嘉山で生まれ、ずっと農家を営んできた金城さんも、ストレリチア農家への転身組の一人だ。「4人の子どもたちが学生だった時は、重いサトウキビを担ぎ出してくれたけど、卒業してからは思うようにならなくなった」と振り返る。別の仕事に従事する夫も平日は畑を手伝えず、何か女一人でもできる作物はないかと探していたところ、「上等なものがあるよ」と紹介され、1990年の5月頃、南城市大里の畑で耕作を開始した。
ストレリチアは花が咲くまでに3年はかかるといわれている。しかし、金城さんは、根株から育ててわずか10カ月ばかりで100本を出荷。周囲を驚かせた。「植物も人間と同じ。愛情をかければ、必ず応えてくれるよ」と笑う。
一人で元気に世話
「この花は台風に強くて、何の心配もなく寝ていられるのが一番上等さね」。ストレリチアは、他の作物に比べ、丈夫で比較的手がかからないのが魅力だという。
一方で、一年を通して花が咲くため、「365日世話が欠かせないよ。休めるのは、台風と元日だけ」と苦笑いする。また、花が日に焼けると紫の部分が色あせてしまうので、朝から摘み取りの作業が必要となる。
だが、76歳の金城さんはパワフルだ。土日には収穫を夫や息子夫婦が手伝うこともあるが、連日朝8時から日没まで、約1800坪の畑の世話をたった一人でこなす。さらに、別の場所にも畑があるというから驚きだ。
手入れには、人一倍の愛情を注ぐ。機械は用いず、一本一本、根元のそばをシャベルを使って丁寧に手で耕していく。「シャベルで掘ると土がアラアラーとして、大雨になっても水はけがいいからね。機械だとこうはいかないよ」
栽培を始めて8年目に、根腐れ病に悩まされたこともあったが、さまざまな努力を重ねた末、水はけをよくすることで病気を抑えられることを発見した。
「毎日携わっていれば、葉が喜んでいるか、助けてくれと言っているか、花の声が聞こえるようになる。農業をしている人なら、皆感じているはずよ」と金城さんは熱心に話す。実際、金城さんの畑で摘まれたストレリチアは、色つやに富み、なまめかしい。「毎日収穫するからね。全部生まれたての花だから」と胸を張る。
最後に、「ストレリチアの花言葉、知ってるね? 『輝かしい未来』だよ」と教えてもらった。取材を終えると、自分で車を運転し、さっそうと次の畑へ向かう金城さん。その後ろ姿は、とてもまぶしく輝いていた。
日平勝也/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)