「表紙」2014年09月11日[No.1535]号
乙羽岳に抱かれるように立つ、今帰仁村越地の乙羽ファーム。代表の島袋松男さん(64)は、2005年から「今帰仁黄金鶏(クガニドゥイ)」の養鶏、加工に奮闘する。「肉質の良さは最高。地域のブランド鶏として大切に育てたい」と語る。かえって1週間のひなを月に200〜300羽仕入れ、自然木チップを敷き詰めた鶏舎に放つ。約90日後、産卵寸前の雌だけを黄金鶏として自ら工場で加工し、販売する。金色に輝く美しい鶏に、島袋さんの愛情を感じた。
「今帰仁」の冠に責任
緑豊かな今帰仁村越地で、農業を営む両親の下に生まれ育った島袋松男さん。農業と畜産を志し、農業学校を卒業後、古里である越地で、20歳ごろからアグーと観音アヒルを養っていた。
今帰仁黄金鶏は、在来豚・今帰仁アグーの保存・継承に情熱を注ぐ高田勝さん(54)が導入した、中国原産のコーチンとインド原産のアシールを原種とした改良種。高田さんは、交配と飼育方法の研究を重ね、完成した今帰仁黄金鶏を新たな地域の宝として大切に育ててほしいと、2005年に島袋さんに託した。飼育から食肉加工まで一貫して手掛ける島袋さんは、今帰仁黄金鶏の唯一の生産者だ。
「『地元・今帰仁を元気にしたい』という思いも受け継いで、えさや飼育環境などを一から教わってスタートしました」と島袋さんは当時を振り返る。
抗生剤を使わず、飼育環境を整えて不要なストレスをかけない配慮を徹底する。鶏舎に入ると、かすかに動物臭はするが、衛生的。やわらかな木製チップの上を、約千羽の今帰仁黄金鶏が走り回ったり、えさに首を伸ばしたり、伸び伸びと動き回ってにぎやかだ。
ベストな環境模索
しかし、いざ育ててみると、さまざまな対応をせまられる場面が出てくるという。
「最初は、ふ卵器を使って自分でひよこをかえしていたんです。でも、今帰仁黄金鶏、アグー、あひるの飼育から食肉加工まで一貫してスタッフ4人でしているので、管理に手が回らない。無理して中途半端にするより、専門業者にお願いしようと切り替えました」
信頼を置く提携業者から、かえって1週間のひよこを月に200〜300羽仕入れることにした。今帰仁黄金鶏の品質を保ち、長く安定的に続けるために、地域での「分業」を選んだのだ。
「ひよこは不思議な性質があって、集団が体を寄せ合って行動するんです。そうすると圧死するのもいます。それに、結構気性が荒くて、環境の変化に敏感。試行錯誤の部分もまだまだあります」と話す。「温度管理かな、えさの配合かなと日々考えているんですけどね」とベストな環境を模索する。
雌だけブランドに
事務所に隣接する鶏舎は、飼育日数によって6区画に分けている。今帰仁黄金鶏として、出荷するのは卵を産む直前の雌だけ。しかし中では、とさかの大きな雄も共にえさをついばんでいる。「ひよこは、雌雄の見分けが難しいので、雄も何%かは混じってしまうんですよ」
雄は値段の安い「だし用」として出荷されるため、苦労が実らない半面もある。しかし育てている間は、平等に愛情を注ぐ。
なぜ雌だけをブランド鶏として出荷しているのか尋ねると、「鶏肉は元来、産卵寸前の雌鶏が最もおいしいといわれているんですよ。肉の弾力や脂の付き具合のバランスが、最高。胸を張っていえますね」と話す。
出荷のタイミングは飼育日数だけでは計れない。鳴き声の変化、行動など、経験に裏打ちされた観察力が大切だ。
「視野を広くするというのかな。生き物相手だから、個体差も当然ある。ありとあらゆる様子を察知して、一番肉質の良いタイミングをつかむことが大事」と、表情を引き締める。
生産も軌道に乗り、地元の飲食店などにも認知され、注文に応えることができるようになった。4年前から食肉加工や情報発信などを手伝う長男の健太郎さん(26)と二人のスタッフが島袋さんを支える。「看護師をしていたんですが、父の背中を見て、やりがいのある仕事だな、手伝いたいなと思って」と健太郎さん。必要な資格が多く、一からこつこつ勉強したという。国と県に申請し、工場を拡大する資金の補助も得た。
「今後は、いっそう生産者としての責任が問われます。それを自覚した上で、これほどおいしい今帰仁黄金鶏を、たくさんの人たちに食べてほしい」と、ピヨピヨ鳴く金色のひよこを、愛おしそうに眺めた。
「今帰仁」と冠の付くブランド鶏を介して、古里のすばらしさを伝えたい―。島袋さんの心には、常に熱い思いがみなぎっている。
島知子/写真・村山望(新星出版)
乙羽ファーム
☎0980−56−5358