「表紙」2014年10月02日[No.1538]号
真っ白な磁器が、柔らかに光を反射する。那覇市首里鳥堀で「decco(デコ)」のコラボレーション名で作品を発信する仲村盛隆さん(48)と聡子さん(45)夫妻。型を作り、液体状の土を流し込む「鋳込み」と呼ばれる手法で成形するのは盛隆さん。共にデザインや個性を引き立てるディスプレーを考えるのは聡子さんだ。「二人いて初めてdecco。長く使ってもらえる作品作りにこだわっています」と盛隆さん。あえて色を使わず、手に取った人がイマジネーションを膨らませることが楽しいと語る。
二人の感性融合させて
琉球大学で美術工芸を修めた盛隆さんは、学生時代から器の魅力にひかれていた。しかし卒業後は、東京に本社のある証券会社に入社する。
「当時はまだ、器を作って生活していく自信がなかったんですよ」。自分の気持ちが本物かどうか、確かめたい時期でもあったという。
そのころ県内で事務職に就いていた聡子さん。共に那覇市首里出身の二人が結婚したきっかけは、見合いだったそう。
「母親同士が知り合いなんです。彼がルクセンブルグに転勤が決まった時、彼のお母さんが『外国人のお嫁さんを連れてきたら大変』って、私たちを引き合わせたんです」と、聡子さんはクスクス笑う。
1996年に結婚したのを機に、聡子さんも海外へ。98年からはニューヨーク勤務となり、休日は二人で器の店や気になるショップ巡りをした。「作品を見る目を養う日々でしたね」と盛隆さんが言うそばで、「器へのこだわりや憧れを語る彼の気持ちが、固まっていくのを感じていました」と聡子さんは言う。
2001年、勤続10年の会社を辞め、「親のそばにいた方がいい」と、互いの実家近くへ戻り、本格的に作陶環境を整える準備を始めた。
「沖縄出身なのに、戻った時、空に映える白い雲が強烈に印象に残ったんです」
迷いの末の出合い
03年にdeccoとしてネット販売を始めた。当時はろくろ引きの陶器が中心。しかし、なりわいとして責任を強く感じていた二人に迷いが生じる。
「deccoの求めているスタイルと素材に対する違和感というか、なんだかしっくりこなかったんです」
さまざまな作品に触れた中で出合ったのが、つやのないマットな白い釉薬(ゆうやく)を使った磁器だった。「これだ!とピンときました」
磁器は丈夫で軽く、手にした時のなじみもいい。「僕らが目指す『生活の中で長く使ってほしい』というコンセプトに合致しました」と盛隆さん。聡子さんも「白は、形の面白さを最大限引き出せます。並べると、それぞれの個性を引き立て合うんです」と話す。
07年、那覇市首里鳥堀に店舗を構えた。同年、長男の盛澄(もりと)君(7つ)が誕生したことも、作品を生み出す原動力となっている。「初めての子育ての中で、息子からたくさんヒントをもらえるんです」
大人だけの生活では思いつかなかった「こういうのあったら良いね」シリーズ。成長に合わせて、小さなベビーシリーズ、持ちやすいキッズシリーズなどが生み出された。そんな盛澄君は、「このお料理は『お父さんの器』に合うね」など、二人の会話に楽しげに参加するという。
使う側の目線
作り手の盛隆さんは、試作品を必ず聡子さんに使ってもらったり飾ってもらったりして意見を交わす。
「時には、だめ出しをすることもあります。何カ月も掛けた作品ですから、彼もくやしそうですけど、違う視点でアイデアを出し合うことが、一緒にいる意味だと思いますから」
「作っている最中は没頭して、使うイメージから遠のいてしまうことがあるのかな。彼女の明快な指摘があってこそ、deccoなんですよね」
互いの個性を融合させて、初めて一つの器が生まれる。
県内外の個展も経験し、さまざまなジャンルの作家とのつながりができたことも、大きな励みだと語る二人。
「白の持つ可能性を広げたい。長く愛される作品を作りたいという部分はぶれないですね」と盛隆さん。「例えば豆皿やスープ皿なども、用途を限定しないでいいと思うんです。手に取った人が、器の使い方をどんどん楽しんでほしいですね」と聡子さん。
二人が生み出したカップでお茶をいただいた。手になじむ、なんだか温かみのある器は、二人の笑顔の結晶のように思えた。
島知子/写真・桜井哲也(Sakuracolor)
☎098-884-8587[decco]