「表紙」2014年10月23日[No.1541]号
沖縄料理に欠かすことのできない食材といえば島豆腐。県内各地にはおいしいと評判の豆腐屋が多い。その中でも昔から豆腐とかまぼこがおいしい所として知られているのが糸満市。その糸満市で「玉城小(たまぐすくぐゎー)とうふ」の愛称で親しまれ、愛され続けている豆腐を作っているのがアマン食品代表の玉城啓太さん(33)。人に喜ばれる豆腐を作り続けてきた「おばぁの味」を守りながら、さらにおいしい豆腐作りにこだわる若き職人だ。
にがりの加減で試行錯誤
代表の玉城啓太さんが豆腐屋を継いだのは12年前。21歳の時だった。きっかけは専門学校を卒業後に勤めた仕事の転職を考えていたとき、両親から祖母・玉城幸子さん(90)が「豆腐屋を継ぐ人はいないかなぁ」とこぼしていると聞いたからだ。「その時は豆腐屋を継ぐというよりも、ばあちゃんの寂しい気持ちを考えて何となく手を挙げた」と振り返る。
「玉城小とうふ」が商売を始めたのは50年以上前。幸子さんが玉城家に嫁いできたとき、曾祖母に誘われて一緒に商売として始めたという。「ひいばあちゃんは戦前からひいばあちゃんのお母さんたちと一緒に豆腐作りをやっていて、近所でもおいしいと評判だった」と啓太さん。
後を継ぐと言ったものの、啓太さんには豆腐作りの経験はまったくなく、ゼロからのスタートだった。「ばあちゃんから、小さいときは孫の中で一番豆腐屋をのぞいていたよ、と言われたけれど全然覚えていない。ただ、物心ついてからは配達を手伝うと乳酸飲料がもらえるから、積極的に手伝った」と笑う。
取引先開拓に汗
初めての仕事は出来たての豆腐を切って袋に入れること。だが、あまりの熱さにびっくりしてしまう。「ばあちゃんは切った豆腐を何事もなく袋に入れていたので、簡単だと思ったら、やってみるとやけどしそうなくらい熱かった」
豆腐作りを手伝いながら納品先の営業回りもした。継いだ時には幸子さんがすでに廃業宣言をしており、お客を全て断った後だった。「後継者ができたのなら」と取引に応じる店もあったが、一度切れた取引はなかなか再開できなかった。豆腐を持って飛び込みで新規の店を開拓していった。
教わり始めて半年ほどしたころ、幸子さんが体調不良で緊急入院した。それまで1人で豆腐作りをしたことがなかった啓太さん。何となく手順はわかっていたが、にがりの濃度や入れるタイミングなどを入院中の幸子さんに聞いて、見よう見まねで作っては病院へ持っていき味見してもらった。幸子さんは「いいよ上等よ。もうちょっとにがりを加えたらもっと上等。また頑張ってみなさい」とアドバイスを加えながら応援してくれた。
伝統の味を残したい
1人になり2年目までは毎日無我夢中だった。一定の味を保つために豆を水に漬ける時間や量、豆乳の濃度、にがりや塩の分量などを毎日記録した。飛び込み営業で試食してもらい断られた店にも3度、4度と通った。やがて自分でもある程度納得のいく商品ができるようになると「この味ならいいよ」と置いてくれる店も増えた。
3年ほど前に妻・亜紀さんの実家のバックアップで、豆腐屋を個人経営から会社組織に変更。大手スーパーへの納品もできるようになり売り上げも伸びていった。
啓太さんは今、豆腐作りはやればやるほど難しいと感じている。豆ごとに性質も違い、水に漬ける時間や豆乳を加熱する時間などが変わるからだ。手の感触や職人としての経験が大事だということもわかってきた。
今後の夢は「最近、若い人たちの中には島豆腐の独特な匂いが苦手という人が増えている。おばぁから受け継いだ味の豆腐は、軟らかで豆独特の匂いもなく、豆腐が苦手な人でも食べられると評判なので、今後はその伝統の味を守りながら、今の時代に合った新しい豆腐を作りたい」と目を輝かせる。「家族に支えられているから今の自分がいるので5代目、6代目にバトンタッチができればいいかなぁ」
若き豆腐作りの担い手の意志は、柔らかな豆腐とは反対に固いと感じられた。
嘉手川学/写真・村山望
アマン食品
糸満市糸満1055
☎098(994)8319