沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1608]

  • (金)

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「表紙」2016年02月18日[No.1608]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 45



株式会社グラスアート藍
社長 寿 紗代(ことぶきさよ)さん
副社長 寿 律子(ことぶきりつこ)さん

二人三脚で沖縄根差す

 沖縄に移り住んで20年になる寿律子さん(69)と娘の紗代さん(42)。高校の修学旅行で訪れた沖縄が好きになり「住んでみたい」という思いを抱き続けた紗代さんが、5年後に母の律子さんを連れ立って実現させた。海、山、そして人々…沖縄の全てが2人を優しく温かく迎え入れたという。学生時代に芸術を学んできた紗代さんは、伝統工芸に憧れるピュアな姿勢で琉球ガラスとの出合いも果たす。ガラスアーティストとして活躍する紗代さんの作品には、母と一緒に見て触れた沖縄の自然美が写し出されているかのようだ。



琉球ガラスで海外展開

 「私たちは呼ばれて沖縄に来たとしか言いようありません」と顔を見合わせて笑う、律子さんと紗代さん。京都で暮らしていた2人の来沖のきっかけは、紗代さんの高校時代の修学旅行。沖縄が気に入り、「移住しよう」と律子さんに頼み続けたという。

 1995年に母娘2人の沖縄旅行が実現し、「最初に車を降りたのが喜屋武岬。青く美しい海に、ようこそと歓迎された気がしました。実はそれまで、戦争で犠牲になった沖縄に謝罪の気持ちが強く、訪れてはいけないと思っていたんです」と律子さん。

 風景美が目に焼きつき、「海の近くに暮らしたい」と紗代さん以上に沖縄への恋心を募らせた。旅行から1年後に母娘で沖縄移住を決めたそうだ。



琉球ガラスとの出合い

 海が見える沖縄市の家を住まいにした2人は、すぐに仕事を探した。律子さんは資格を生かして塾講師になり、「子どもたちに慕われ本音で話せる友人もでき、ここでは素の自分でいられる」と実感。「親戚のようにみんなが助けてくれる」と感動した紗代さんは、絵画やデザインを学んだ経歴と興味から、沖縄の伝統工芸に挑戦したい気持ちが湧いた。

 「ガラス職人募集記事を見つけ軽い気持ちで面接を受けたら、明日から採用と言われました」というのが琉球ガラスとの出合いで、才能が開花する天職への一歩を踏み出した。工房で作り方を学び、「男性ばかりの世界でしたが、涼しげで硬質な完成品と現場が真逆なところが面白い」と語った。1400度の熱で液状になるガラスに魅了されたそうだ。

 技術指導を受けながら作品を作り続けた紗代さんは、持ち前のセンスも発揮して、始めてわずか2年で糸満市に自身の工房「グラスアート藍」を設立。「業界全体が厳しい状況で1人でやるしかなく、手作り窯でした」とほほ笑んだ。

 そして透明なグラスに愛らしい花を描いた「小花シリーズ」を発表。飲み物の色は見えた方がいいという紗代さんの発想を形にした作品で、売り込みに行った土産品店が「こういう琉球ガラスを待っていた」と店頭に並べ、どんどん売れていったという。続けて表面にでこぼこをつけサンゴ礁を表現したグラス他、画期的な作品を発表し、多くのメディアに取り上げられて脚光を浴びた。作品が売れたことで人手が必要となり、律子さんが管理面を手伝うようになったそうだ。制作環境を整えるため、2000年には東村高江に工房を移した。

伝統を守り海外へ

 作業場が広く景観も楽しめる工房になったので、カフェも併設。「グラスアート藍」には、多くの人が訪れた。「ジュゴンが確認できる日もあるほど、美しい眺めでした。でも台風やハブに遭うやんばる暮らしは、苦労もしましたよ」と律子さんは振り返った。

 一方で常に斬新なデザインを生み出したいと表現者として悩むようになった紗代さんは、プレッシャーからの解放を求め03年にバリ島へ。絵画を学びガラス工場の運営も手掛ける。「土産物の認識がないガラスはバリでは売れない。琉球ガラスは先人が築いた礎の上で認められていると気付き、おごりが消えました」

 沖縄に帰った紗代さんは、琉球ガラスの伝統を若い世代へつなぎ恩返しする新たな理念を律子さんと共有し、10年には名護市に工房とショップをオープン。13年に法人化し、人材育成とガラス職人の社会的地位の向上に努めている。

 大好きな沖縄でガラスに出合い、前に向かって歩んできた律子さんと紗代さん。「沖縄で夢がかないました。娘はもちろん従業員も自分の子ども。みんなの幸せが私の生きがいです!」と元気良く宣言した律子さんに見守られながら、「琉球ガラスで海外展開!」という紗代さんの目標達成の日は、そう遠くはなさそうだ。

(饒波貴子)



プロフィール

ことぶき・さよ
 1973年生まれ、京都出身。高校で美術、短大で環境デザインを学び卒業後に建築会社に就職。修学旅行で訪れた沖縄が忘れられず、1996年に母・律子さんと共に移住。98年、糸満市の倉庫を借りて「グラスアート藍」を設立し、2000年に東村に移転。03年には絵画を学ぶためバリ島に渡り、現地でガラス工場を創立。08年には沖縄に戻って再スタートをはかり、10年5月より名護市中山に工房とショップをオープンした

ことぶき・りつこ
 1946年生まれ。兵庫県出身で京都に住み、ヨガ講師や居酒屋経営などさまざまな職業を経験。沖縄移住当時は塾に勤め子どもたちを指導した。「グラスアート藍」設立後は母としてビジネスパートーナーとして、娘の紗代さんを支えている

琉球ガラス工房 グラスアート藍
名護市中山211-1 ☎ 0980-53-2110
営業時間:9:30〜18:00
ガラス体験:10:00〜12:00/13:00〜16:30
定休日:火曜日(祝祭日は営業)



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グラスアート藍
ガラスアーティストの寿紗代さん(写真左)とサポートする母親の律子さんは、ポジティブな性格が似ている仲良し親子。慶良間の海を表現したガラスシリーズ「ラグーン」と共に=名護市中山の「琉球ガラス工房 グラスアート藍」 
写真・村山 望
グラスアート藍
1998年に設立した糸満の「グラスアート藍」で記念撮影
グラスアート藍
2005年、バリ島に住んでいた紗代さんを律子さんが訪問
グラスアート藍
工房でグラスを作る紗代さん
グラスアート藍
美しく輝き泡盛がおいしく飲める、「島ロック」グラス
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