沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1609]

  • (金)

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「表紙」2016年02月25日[No.1609]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 46



株式会社沖縄石油ガス株式会社
代表取締役会長 幸喜 徳子さん
取締役 スミス 陽子さん

国際人として 企業人として

 1960年代、国際線スチュワーデスとして世界各国へ飛んだ幸喜徳子さん(72)。小さいころからの夢をかなえた力の源は、持ち前のチャレンジ精神と世界の国々をこの目で見てみたいという大いなる好奇心。結婚後もアメリカでライセンスを取得し女性パイロットとしてセスナ機など軽飛行機の操縦かんを握る。会社経営や公職を兼務しつつ、海外を行き来する徳子さんのスケールの広い懐で育った娘のスミス陽子さん(39)もまた、米国留学を経験して国際人に。国際的な感覚を身につけた母娘それぞれ自社の経営にその力を発揮している。



大いなる好奇心でチャレンジ

 地球儀を好奇心いっぱいのまなざしで見つめる小学5年生の女の子。「世界中に広がる国々を見てみたい」と、小さな誓いを立てた。やがて父親が買ってくれた本で女性の新しい職業がスチュワーデスだと知る。「これだ、と思いましたね」と、徳子さん。スチュワーデスになれば自力で世界各国を見て回れる。当時、国内で唯一国際線を運航していた日本航空への入社が目標になった。

 進路は、入社条件をクリアするための選択肢と捉えた。大学は文系志望だったが、水泳や平均台を歩くという特殊な試験があることを知り、保健体育科へ切り替えて器械体操を習得した。

 大学4年で、満を持して臨んだ入社試験。身体検査でスチュワーデスへの道を閉ざされた。「鼻中隔湾曲症」により飛行中に鼻が詰まる可能性があると診断され、一時夢を諦めかけた。両親の勧めもあって高校教諭に就くが、世界を見たいという思いはやまず、強い意志で手術を決断。「海外渡航というニンジンがぶら下がっているから手術時の苦痛に耐えた」と笑う。



女性パイロットに

 1967年、障がいを取り除いた徳子さんは日本航空入社を果たす。国内線乗務後、東回りヨーロッパ線、南回りヨーロッパ線に乗り、月に1度地球を一周半する国際線スチュワーデスとして幼い頃からの夢をかなえた。

 華やかな裏には、後に続く沖縄出身者のために良き手本となろうと、「小鳥のさえずりのような同期生のアナウンスに比べようもないウチナーなまり」を克服したひたむきさが伺える。

 3年半のフライトを終わらせたのは、「地に足の着いた仕事をし、結婚をしろ」と、まな娘を思う父の矢のような催促だった。帰郷後、徳子さんは見合い後3カ月でプロパンガス販売会社代表の幸喜勇さんと結婚に至った。勇さんは自家用飛行機を所有しており、徳子さんの第二のフライトをお膳立てすることとなる。

 国際線スチュワーデスから専業主婦へ転身した徳子さんの新たな目標は、立て続けに恵まれた2男1女の子育てだった。体験学習をさせ、チャレンジをはばまない子育てに、陽子さんは「母は褒めて育ててくれた。常に私を応援してくれるスケールの広い人」と語る。陽子さんが小学4年生になり、子育てが一段落するころ、徳子さんには勇さんとの二人三脚での会社経営、軽飛行機のパイロットへの挑戦という新たな目標が浮上した。

国際的なファミリーに

 子どもを夫に預けるや、米国・カリフォルニア州に滞在してパイロット資格取得で徳子さんがバイタリティーを発揮した当時、陽子さんは小学4年生。くしくも徳子さんが海外への夢を膨らませた年齢。「両親が海外を行き来するのは普通だった」と、国際性豊かな家庭環境から子どもたちは自然に海外留学の道を歩んだという。

 米国・ウィスコンシン州の高校を卒業後は東京の大学、大学院へ。徳子さんの勧めもあり県立高校教師となる。その後、米国・サンフランシスコの大学院へ国費留学をし、博士号を取得した。スミスという名字が表すように米国人との国際結婚で、日米の二重国籍を持つ2人の息子に恵まれた今、国際的なファミリーに発展。育児に奮闘しつつ自社の経営陣としても尽力する。

 常にチャレンジ精神で世界の国々を見たいという夢をかなえた徳子さん。「若い人にはもっと海外に視野を向けてほしい」と、自身の体験から沖縄の人材育成を展望する。それでも、ウチナーンチュが持つ心の優しさこそ世界に誇れるDNAだと力説する。その国際的な感覚は、沖縄の風土という地に足の着いたところから生まれている。 

(伊芸久子)



プロフィール

こうき のりこ
 1943年那覇市生まれ、琉球大学卒業後、豊見城高校教諭を経て、日本航空国際線スチュワーデスに就く。1977年、沖縄石油ガス株式会社に入社、代表取締役社長を経て、現在会長。県国際交流財団専務理事、沖縄キリスト教短大にて特任教授、県公安委員長を務める。天皇陛下より旭日小綬章受章。8人の孫の祖母

すみす ようこ
 1977年那覇市生まれ。玉川大学英米文学科にて修士号取得。県立高校教諭退職後、サンフランシスコ大学へ国費留学。国際・多文化教育学科にて教育学博士号を取得。米国人の夫と帰国後、2010年より沖縄石油ガス株式会社取締役として勤務の傍ら、沖縄キリスト教学院大学と同短大にて英語・ビジネス系の非常勤講師を務める。2児の母

沖縄石油ガス株式会社はプロパンガス、住宅設備機器販売等を手掛け、創業53年目を迎える。
新築・リフォームの際の相談に応じている。
浦添市前田、浦西中向い
☎098-877-7124




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沖縄石油ガス株式会社
幸喜徳子さん(写真右)は自社の経営と数々の公職に携わり忙しく飛び回るスーパーウーマン、陽子さんは広報の役割を担いつつ、2児の子育てに奮闘し、大学非常勤講師を務める=浦添市前田の沖縄石油ガス株式会社 
写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)
沖縄石油ガス株式会社
カリフォルニア州でフライト前の徳子さん
沖縄石油ガス株式会社
サンフランシスコ大学で博士号を取得した陽子さん
沖縄石油ガス株式会社
県公安委員長として視閲式に臨む
沖縄石油ガス株式会社
沖縄石油ガス株式会社の朝のミーティング
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