「表紙」2021年11月11日[No.1905]号
重機オペレーターから餅屋へ
古謝もち店 店主・古謝義彦さん
うるま市安慶名にある「古謝もち店」は店主・古謝義彦さんの妻・弘子さんの祖母が営んでいた「糸数もち店」が前身。後に弘子さんの両親が二代目となり、約20年前に古謝さんが三代目として店を継いだ。昔は餅専門店として看板は出さず注文を受けたり、農連市場に卸したりしていただけだが、現在は看板も掲げられ、じわじわと店が知られるようになった。ここ最近は行列ができることもあるという。その人気の理由が知りたくて、同店を訪ねた。
店頭では「きなこ」「よもぎ」「紅芋」「うぐいす」と4種類の餅に、素朴な味わいで人気の温かい「みたらしだんご」も販売していた。平日の午前中から一人、二人とやってきては「だんご2本ちょうだい」、「1000円分ね」といって「みたらしだんご」や餅を買っていく。また、「いつものお願いします」とぜんざいを注文し、イートインスペースに入っていく人も。
ときには、車でやってきた常連客が車内から指で合図をし、それを店主の古謝さんが読み解き、ぜんざいなどを作る。しかし合図がうまく伝わっていないこともあり、それでも客は「いいよいいよ、これも買うさ〜」とまとめて購入。「車から降りて注文したらいいのにね」といいながら、客とのそんなやりとりも「面白いよ」と古謝さんは楽しそうに話す。
義父母の店を継ぐ
いまでこそ慣れた手つきで餅屋の仕事に勤しむ古謝さんだが、中学卒業後は神奈川県で重機オペレーターとして長年働いてきた。そこで、同じ沖縄出身の弘子さんと結婚。子どもにも恵まれ沖縄に引き揚げるが、なかなかいい仕事が見つからず、再び単身で神奈川へ働きに出た。正月には帰省するなど行ったり来たりの生活が約8年続いた。
あるとき、古謝さんは義父母から「餅屋を継がないか」と言われた。重機オペレーターとは全く違う仕事だったが、子どものころから稼業を手伝っていた弘子さんは「私がいるから大丈夫だよ」と背中を押してくれた。
古謝さんは店を手放す義父母の今後の生活を考えて「じゃあ、やらせてください」といままで貯めてきたお金を渡したという。「若いときの苦労は買ってでもしなさい」という言葉を思い出し、一から商売を始めた。
「沖縄の行事に餅はかかせないから、食いっぱぐれはない商売だと思った。あとは自分が頑張るだけ」とこれまでなんとかやってきた。
おおらかな人柄
5年ほど前に新しい道路が整備され、店が目立つようになったことで、より多くの人に店が知られるようになった。時には県外や海外の観光客も訪れる。暑い時季はぜんざいやかき氷がよく売れ、特に人気の「みたらしだんご」は午前中に売り切れてしまうこともある。
「友達から、『これまでコツコツやってきたことが実ったね』と言われた」とうれしそうに話す古謝さん。
「子どもも大きくなって、あまりガツガツ働かないでのんびりやろうと思っていたのに、いまになって団子は売れるし、ぜんざいは売れる、餅も売れるという状態になった」と笑顔を見せた。
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取材の終わりに餅や団子をいただき、おまけに冷たいぜんざいも試食させてもらった。暑い日だったので、日陰でしばしのブレークタイム。食べながらふと、味はもとより古謝さんの優しくておおらかな人柄が人気の理由なんだ、と気が付いた。
(﨑山裕子)
古謝もち店
うるま市安慶名2-14-16☎︎ 090-1510-8375
不定休