「表紙」2024年08月08日[No.2048]号
オジーの残した民宿。SNS時代も島の良さを発信
うるま市の平敷屋港からフェリーで津堅島へ。島が近づいてくると、船上から西岸 にあるトゥマイ浜とレトロな雰囲気の「神谷荘」の建物を見つけることができる。現在、 宿を切り盛りするのは3代目の神谷恭平さん。2019 年、祖父の幸一さんから民宿経 営を引き継いだ。民宿の歴史や、特色となっている音楽ライブについて話を聞いた。
キャロットアイランドの愛称 もある津堅島。ニンジンは冬 場の特産物だ。夏場は美しい 海、昔ながらの島の暮らしに 接することができる。平坦な 島だが、徒歩での移動は大 変。津堅港から神谷荘までは 「キャロタク」か「キャロバス」(電 動車による移動サービス)の利 用がおすすめだ。
神谷荘に到着したら、まっ すぐ海に行くのはもちろん、 エアコンの効いた客室やホール で過ごすのも心地よい。コー ヒーやビールを片手に海を眺 めるのがぜいたくだ。夕方に なれば沖縄本島に沈む夕日 を眺めながら、県産の食材を 使った夕食が味わえる。
「三線の始祖とされる赤犬 子(アカインコ)の生誕地に 行ってみてください」
島の名所を尋ねると、オー ナーの神谷恭平さんはそう 答えた。島には史跡も点在 し、歴史や文化に関心を持て ば見どころがさらに広がる。
民宿と家族の歴史
神谷荘がオープンしたのは 1980年。島の観光業の最 初期に、おにぎりなどの軽食 を販売していた店が前身なの だとか。創業者は恭平さんの 曽祖父である幸徳(こうと く)さん。「有限会社神谷観 光」を立ち上げた人物だ。定 期航路事業を開始し、交通の 便を向上させる礎となった。
民宿の名を有名にしたの は、2代目の幸一さん(現・神 谷観光代表取締役)ときょう だいたち。民謡歌手としても 名高い幸一さんを筆頭に、「神 谷幸一とファミリーズ」を結 成。毎晩のようにショーを開 催した。活動の最盛期は 90 〜 00 年代。この頃から足を運ぶ 常連客もいるそうだ。
一方、恭平さんは沖縄市で 生まれ育った。子どもの頃は、 津堅島は盆・正月に行く場所 という認識。幸一さんをはじ め、音楽にたけた親戚が多い ことで、三線や民謡は避けて いたという。だが、社会人にな る時は自然と音楽関係の仕 事を選んでいたそうだ。東京 で約4年、音響の仕事に従事 した。神谷荘の経営をどうす るか、家族の中で議題となって いたのはこの時だったという。 民宿を売却する、そんな案も 上がっていた中で、後継者とし て手を挙げたのだった。
「『オジーの店閉めたよ、神 谷荘閉まるよ』なんて言うの は寂しくて。今が帰ってくる 時なのかなぁ、と思ったんで す」
恭平さんが穏やかに思い 出した。
島からライブ配信
経営を継いだ恭平さんが 新たに始めたのは、SNSを 使った情報発信。音楽ライブ の開催と配信にも力を入れ る。民謡だけでなく、ポップス やギター弾き語りなど、さま ざまなジャ ンルのアー ティストが 出演でき る場所をつ くった。
配信は、島にルーツがある 人たちから反応があるとい う。「皆さんが島に戻ってくる きっかけになれば」。恭平さん はそう話した。配信の収益 は、ビーチクリーンや学校への 寄付に役立てられている。ラ イブ配信は、離れていても島 を身近に感じられ、担い手も 無理なく続けられる。持続性 のある島おこしだと恭平さん は捉えている。
「音楽家が集まるような島 をつくっていきたいです」
展望を語ってくれた恭平さ ん。祖父と同じく、音楽の絶 えない民宿をこれからも守っ ていく。
(津波 典泰)
神谷荘
うるま市勝連津堅1472-4
☎098-978-3027
神谷荘Youtubeチャンネル 過去のライブ映像が 視聴可能
写真・村山 望