「表紙」2024年10月10日[No.2057]号
波乗りの感性で自然の色とかたち、思いを織る
車いすに座って藍染料を扱い、糸を染め、機を織る真栄城興和さん(42)。車 いす生活となったのは30 歳の時。それ以前から、染織をしながら熱心にサーフィ ンに取り組んでおり、伝統工芸の担い手として異色の存在だった。本部町伊豆 味の工房を訪れ、困難にもめげない創作意欲と、挑戦を続ける人物像に迫った。
シャー、トントン、と糸を通した後、真栄城興和さんは両手で右足を持ち上げた。作業するのは、車いすに対応した専用の機織り機だ。機織り機の下部には、踏み木と呼ばれるペダルが2本ある。健常者の織り手は流れ作業で踏み変えるが、下半身にマヒがある真栄城さんは、手で足の位置を移動させ操作する。
織っていたのは絣(かすり)の作品で、濃淡の違う藍の糸が合わさる。ワンポイントで入るのは古典柄であるトゥイグヮー(鳥)、その下にはサーフボードのフィンを模したオリジナルの柄が並ぶ。
「フィンは海の波にも見えますよね」と真栄城さんがいたずらっぽく笑った。作品のタイトルは「飛躍」。自分自身が羽ばたく、という意味を込めている。
サーフィンと藍染料
真栄城さんの実家は祖父の代から続く「美絣(びがすり)工房」だ。しかし、両親の作業場は立ち入り禁止だったそうで、手伝いなどもなかった。染織に関わらないまま、高校時代まで過ごし、千葉県の大学に進学。大学の4年間は、海外にも遠征しサーフィンに没頭した。サーフィンをしていると、「藍の色で海の色を表現したい」という思いが湧くことがあったという。漠然とした意識だったが、卒業後、親元に戻り染織を学ぼうと決心した。
美絣工房に就職した後も、仕事の合間にはサーフィンに出かけていたという真栄城さん。そんな日々の中で発見があった。サーフィンと藍染料の共通点だ。どちらも自然のものであり、人間の思うようにならない部分があると気付いた。自分はそこに魅(み)せられている、そう自覚したという。
どう乗りこなすか
車いす生活となったのは30歳の時、両親の工房から独立した矢先だった。先天性の病気である脊髄動静脈奇形(せきずいどうじょうみゃくきけい)」を発症、直後に下半身不随となった。前触れはなく、「30分で世界が変わった」と振り返る。
突如訪れた変化だったが、真栄城さんはすぐにリハビリに着手した。
「サーフィンのように(困難な状況を)どう乗りこなすか、という気持ちでした。だから、全くなかったです、ヘコんだりとか」
周囲の支えにも感謝しつつ、あっけらかんと語った。染織家としての再起は、専用の機織り機を造ったことで成し遂げた。糸満市の木工職人「工房・たまき」が協力した。2021年にはニューヨークでの個展も開催している。
パラサーファーとしてのスタートは、三重県で先月行われた「第2回全日本パラサーフィン選手権大会」から。初挑戦だったが「プローン1」というクラスで優勝。来月には、カリフォルニア州で開催される世界大会「2024ISAワールド・パラ・サーフィン・チャンピオンシップ」へ日本代表として派遣される。
車いす生活も個性としてポジティブに突き進む真栄城さん。ラフな笑顔の中に自分だけの人生を楽しもうとする気概を見た。
(津波 典泰)
真栄城興和 Instagram
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(DUB新城政樹)
写真・村山望