「島ネタCHOSA班」2011年11月10日[No.1389]号
「オカノ」という会社がありますが、てっきり県外の会社の沖縄支社だと思っていました。ところが、会社のある場所が「岡野」という地名だと聞きびっくり。岡野という本土風な名前の地名があるのを知らなかったのです。調べていただけますか?(2011年11月10日掲載)
「オカノ」「岡野」!?
(那覇市・40代女性)
「オカノ」という会社がありますが、てっきり県外の会社の沖縄支社だと思っていました。ところが、会社のある場所が「岡野」という地名だと聞きびっくり。岡野という本土風な名前の地名があるのを知らなかったのです。調べていただけますか?(那覇市・40代女性)
「オカノ」「岡野」。限りなく本土っぽい名前だ。調査員も実は知らなかった。これはぜひ、調べて見たい。
まず「岡野」の場所から確認。地名は「岡野」だが住所は「安謝」と「銘苅」になっている。安謝のコジマNEW那覇店とマックスバリュ安謝店の間の細い道をはさんだ区域、また環状2号線の安謝交差点からロッテリア近辺までの両側が岡野区になっているようだ。地図で見ると細長い。銘苅にある「安岡中学」は安謝の「安」と岡野の「岡」をとってつけられたそうだ。そうだったのか。調査員、「安岡」という住所はないのに、どういう理由でこの名前なんだろうと思っていたんだ。
転勤してきたんですか?
では、質問にあった「株式会社オカノ」に話を聞きに行こう。
「オカノ」は酸素や炭酸ガスなど医療用・工業用の高圧ガス販売が主な仕事。1983年に「株式会社おきさん」の販売部門を独立させて設立された。その際に社員からの公募で社名を決めたそうだ。
「創業地の名を残したかったという思いでしょうね。また、現在では高圧ガス以外にも、環境関連商品の販売、設備工事、保険代理店など取扱う業務は多岐にわたっています。設立当時にガスに限定した社名にしなかったことは先見の明があったのではと思います」と語るのは、入社1年、千葉県出身の前之園康信さん。
前之園さんは営業で名刺を差し出すと会社名と名字から「東京から転勤でいらしたんですか?」と聞かれることもあるという。総務部係長の國場清乃さんも「入社して初めて岡野とい地名があったことを知りました」と打ち明ける。
「岡野」という地区を知らない人はけっこういるんだね。「岡野」はいつできたのか、歴史をたどってみよう。
1956年発行の「真和志市誌」によると、のちに琉球政府の行政主席になった松岡政保氏が民政府時代の工務部長のとき、現在の「岡野」区域に工務関係の資材置き場を作った。その後工場などが立ち並び始め、その後次々と関係者が移住して集落を形成した。「岡の上の野原に自然部落が出来たので岡野と称えるようになった」とある。
岡野区自治会が出した30年記念誌にも名前の由来が書かれている。1952~53年ごろ、松岡氏がこの地区に住居を構えていたことから「岡」を取った。「野」は当時の安謝にあった沖縄工業高校と天久地区の間に「平野」という集落があり、そこが広々とした地域だった。「その平野の名称と関連付けて考察すると岡野一帯は戦後広漠たるこの地に耕作隊が整地をしてキャンプを張ったことからも地勢と人物像をイメージした岡野の名称が生まれても不思議はない」と説明されている。
静かな住宅街
調査員は、岡野区を歩いてみた。「おかの」という名前の店があった。電話帳で見つけた「岡野美容室」にも電話してみた。美容室は、昨年、約40年間開いていた店を閉めた。最初の20年は岡野区で、後半は曙で店を開いていたが店名はずっと同じ。元店主さんは「よくおたく本土の方ですか?と聞かれました」笑いながら話した。
岡野区は地図上で見ると国道58号、環状2号線と大きな道路に面している区域もあるが、その裏の地域は人が一人しか通れないようなすーじぐゎーも残っている静かな住宅街だ。
岡野区自治会の眞榮城守永会長に話を聞いた。現在、自治会加入世帯は185世帯。区域を1班から5班にわけている。トシビー(生年祝い)や区域内の大掃除、グラウンドゴルフ大会など行い区民の親睦を深めている。眞榮城さんは「高齢者が多い」のが岡野区の特徴だという。今年のトシビーの対象者(73歳以上)は100人以上もおり、近くの安謝公民館を借りて盛大に開いたという。
「素晴らしい先輩方が多いですよ。ほんとに勉強になります」と眞榮城さんは繰り返す。他地域からの移住者の多いところだが、生まれも育ちも「岡野区」という眞榮城さんのその言葉からは「岡野区」とそこに住む人たちへの深い愛情が感じられた。