「島ネタCHOSA班」2012年04月05日[No.1410]号
沖縄県が日本復帰した6年後の1978年(昭和53年)7月30日に自動車の対面交通が右側通行から左側通行に変更されました。その変更時に使用した車両が現在も現役路線バスとして運行していると聞きました。車歴30年以上のバスが本当に走っているんですか?(2012年04月05日掲載)
730バス、いまだ現役!
(那覇市 40代男性会社員)
交通変更が実施された7月30日に合わせて「730」(ナナサンマル)と呼ばれています。 戦前の沖縄県では日本国内の他地域と同じく自動車は左側通行でしたが、沖縄戦終了後、アメリカにより右側通行に変更されていたと、聞いています。
時間が許せば、バスを利用して見知らぬ街へと出かける調査員。この手の調査は得意分野。では「発車オーライ」(少々古臭い)。
730時に導入
早速、現在も路線バスに使われている車両の発着点である東陽バス馬天営業所におじゃましました。出迎えてくれた玉城善一所長。大柄な体は「大型バスの運転手」のイメージにピッタリ。話をうかがいました。
日本本土とは逆の右側通行であるという状況は、1972年5月15日の復帰後も6年間続きましたが、ジュネーブ交通条約(または交通条約、1949年制定)の「一国一交通制度」による条約遵守の立場から、昭和53年(1978年)7月30日をもって県内全域で左側通行に変更されることになりました。
日本復帰を象徴的に示す一大プロジェクトであり、そのため県内のバス事業者においても、全車両を右ハンドル左ドアの車両に切り替え、東陽バスでは、日野RE101型への代替となりましたと、玉城所長。
このとき、新規に導入された車両を通称『ナナサンマル車』と呼んでいます。
なーるほど、それで「730バス」とよんでいるんですか。
玉城所長は「ナナサンマル車は車両の老朽化にともない代替が進み、徐々に姿を消していきましたが、現在、私ども東陽バスと他社にもう1台が現存し、路線バスとして活躍しています」
もう1台あるんですね。
「東陽バスのナナサンマル車は車号『沖22か906』で、現在も馬天営業所の予備車として、土曜日や日、祝日に馬天営業所と浦添市の城間を往復運行しています」と玉城所長。
30年以上前の車両がいまの営業車両として運行しているのですか。すごい。長持ちの秘けつは何ですか。
玉城所長「『空ぶかししない。無理なギアチェンジはしない』など、日ごろから運転手のみなさんがバスを大切にしているからです」という言葉が返ってきました。
なるほど、車も人も大切にすると、その「思い」が伝わるんだと、なぜかセンチメンタルな気持ちになった調査員。
人気は全国区
さらに玉城所長は「バスはディーゼルエンジンなので、構造がシンプルに出来ています。ガソリン車に比べると、故障も少なく燃費もいいんですよ」と笑顔で話してくれました。
「それでも製造から30年以上もたつと、製造メーカーには部品はありません。それで当社のスタッフが部品を加工します。また、その基準に適合するには高い技術が必要です。東陽バスの整備スタッフは『日本一』の技術を持っています」と胸をはる玉城所長。「また私たちの会社では法律で義務付けられた点検よりもさらに厳しく月に1度、バスの状態を確かめています」と安全性のアピールも忘れない。
東陽バスでは、沖縄日野自動車の協力により09年6月に外装のリニューアル補修が施され、7、8月には自社整備工場で内装のリニューアル補修が施されました。
車齢34年に達した『沖22か906』の走行キロは、1、349、511km(09年7月24日現在)。これは地球周回に換算すると地球33周分にあたり、また、地球から月への往復に換算すると2往復目の帰り道半ばにあたります。
「実はこの730バスは専門誌でも紹介され、『全国から乗ってみたい』」というファンが大勢訪れます。運行日には県外からのお客さんもたくさんいます。多くのみなさんに愛されているのです」とほほ笑む。
調査員は玉城所長の運転する「730バス」に同乗させてもらいました。排気量1万cc、全長10㍍、総重量13t余りの堂々たる車体は丸目のデザインで、優しさを感じます。車内に入ると、リニューアルされた車内は手入れが行き届き、清潔感を感じました。
また失礼ながら、古いので乗り心地はあまり期待していませんでした。が、発信はスムーズで、パワーも十分。急な坂も息切れせず、「若いアスリート」のように一気に駆け上がっていく。「排気量10㍑(1万cc)とタフで力があり、運転も楽」と気持ちよさそうにハンドルを握り、特長を説明してくれました。