「島ネタCHOSA班」2012年07月12日[No.1424]号
先日、結婚式で「ティーチ♪ ターチ♪」と方言で号令しながらラジオ体操をする余興を見ました。全部の意味は分かりませんが、振り付けやピアノの伴奏は普通のラジオ体操と同じ。聞くと、CDも出ているとか。どんな人が作ったのですか? (浦添市 Tさん 2012年07月12日掲載)
ウチナー口体操が人気!?
ラジオ体操ねぇ。小学生のころ、スタンプとお菓子欲しさに毎日やったなぁ。今でも曲がかかったら、体が動き出す昭和な調査員。興味津々で調べてみると、「うちなぁぐちラジオ体操」という曲だと判明。ナレーション担当を割り出し、さっそく会いに行ったのですが…。
待ち合わせ場所に現れたのは、沖縄市泡瀬出身の喜屋武均さん(35)。福の神みたいな笑顔が印象的です。
「早速ですが、喜屋武さん、この曲はどういう経緯で生まれたんですか?」との質問に、話し始めた喜屋武さんの前で、しばし呆然とする調査員。単語から言い回しまで、すべてウチナー口(方言)なんですよ、ネイティブスピーカーなんですよ、喜屋武さんは。
所々「? どういう意味でしょうか?」と、自分の無知をさらしつつ、お聞きしました(喜屋武さんのコメントは調査員が訳しました)。
「両親も祖父母も方言ですし、デイサービスで働いてもいるので、僕にとって方言は身近だし、とても大切なんです」。
14歳から独学で唄・三線の腕を磨き、地元の伝統芸能「京太郎」(チョンダラー)演者でもある喜屋武さんは、これまでに「沖縄島うたポップス工工四集」シリーズやアルバム「ちゃんぐわ」(喜屋武小)を出すなど実力派で、ウチナー口に深い愛情を持っている。
「標準語の歌詞をウチナー口に訳す場合、意味をくみ取って言い回しを変えたりもしますが、この曲は号令ですから、分かりやすい方が良いと直訳にこだわりました。また、お年寄りが参加しやすいようテンポを落としているんですよ」。
関係者も驚き
「最初は、携帯電話配信だけの予定だったんです」と話すのは、着うたサイト「沖縄ちゅらサウンズ」を運営するゆいワークス(株)(那覇市)の稲福政司さん。同社では常時6000曲ほどを配信しているが、昨年4月に配信を始めた「うちなぁぐちラジオ体操」への反響に驚いた。「『携帯は操作が分からない』という年配の方や、『皆で踊りたい』という若い方、県外の沖縄ファンからの問い合わせの電話が鳴りっぱなし。それで今年5月にCD化となりました。こんなパターンは初めてです」。
発売元であるキャンパスレコード(沖縄市)の備瀬良勝さんも、「こんなCDの売れない時代に、うちの店だけで月に1000枚も売れるなんて信じられないよ。一人で何枚も買って知り合いに配る人や、授業の一環で使う人、県外、海外からの問い合わせもありますよ」。
言葉の持つ力
あらためて、喜屋武さんに聞いてみた。「うちなぁぐちラジオ体操」は、どうしてこんなにもウチナーンチュや沖縄ファンに受け入れられたんでしょう―。すると、喜屋武さんは少し寂しそうな顔になった。
「発売前は、売れるわけないよ、方言話せるお年寄りはよけい買わないよって思ってました。でも、ふたを開けたら年配の方も買っている。それを聞いて僕は寂しくなってね。だって、方言聞きたいから買ってくれたんです。身近にいかに方言話す人がいないかってことだなぁって」。
確かに、喜屋武さんのように流ちょうにウチナー口を話せる人は、お年寄りでも減っている。若い世代ならなおさらだ。
「僕は、僕の言葉でこの曲を作りました。そう言うと、『首里は違う』『那覇は違う』と言う人がいますが、今はそんなこと言ってる場合じゃないと思うんです。標準語では表現できない、ウチナー口のニュアンスとか言い回しってあるでしょう。言葉は生き物だから、使わないと消えてしまう。そうすると、ウチナー口の持つ文化も消えてしまうと思うんですよね」。
喜屋武さんの持つ、優しい言い回しの方言がとてもうらやましく思える。よし、勇気を出して、明日からは曲の歌い出し「グスーヨーチューウガナビラ」(皆さんこんにちは)から始めてみようと思う調査員だった。