「島ネタCHOSA班」2012年08月2日[No.1427]号
東京出身の私が、沖縄の風景で不思議なのがアパートなどの集合住宅。なぜデカデカと建物名が書かれているんでしょう? (浦添市 Tさん 2012年08月2日掲載)
集合住宅名前は大きく!?
ありますね、○○アパートとか、コーポ△△。表通りに向けて「これでもか!」とアピールしている物件が。
まずは、不動産の設計から建築、管理まで行っている照正組(与那原町)へ。創業62年とのことで、期待大! ニコニコと出迎えてくれた町田賢一さんと謝花剛矢さんでしたが…。
「大きく書かれている理由ですか? うーん」と、困った様子。「郵便物が確実に届くようにとか、お客さんが訪ねやすいようにとか、地域の目印になる役割もあるんじゃないでしょうか」。
なるほど、一理あります。
「弊社が手がけた物件は、小さめのアクリル板で建物名を表示します。でも、大家さんの中には、『水タンクにも大きく書いてね』とおっしゃる方、いらっしゃいますね。高齢の方が多い気がします」
確かに、比較的新しい建物は控えめな印象があります。建物には流行があると言いますが、かつて沖縄の集合住宅に「名前はデカデカ旋風」が巻き起こったのでしょうか?
「沖縄の集合住宅の変遷ですか?詳しい方がいらっしゃいますよ」と、県建築士会にご紹介いただいたのは、PSAアトリエQ(那覇市)の宇栄原謙さん(67)。戦後の住宅事情を丁寧に教えていただきました。
憧れのコンクリート
「1952年に、米人向け住宅建設が本格的に始まります。マニングコーポと呼ばれていました」。
「マニング~」は、アメリカの不動産会社の名だそうです。
「沖縄は湿気が多いし、台風もたびたびある。さらにはネズミやゴキブリなどを嫌ってね。コンクリートブロックを積んで、中に鉄筋を通して作ったんです。屋根には赤瓦を乗せたんですよ」。
コンクリート、鉄筋、瓦などの需要が一気に高まり、地場産業へ波及した側面もあったことが想像できます。
「家が必要なのは、沖縄の人も一緒でしょ。応急住宅と言って、今の仮設住宅のような家を建てるんだけど、RC(鉄筋コンクリート)は高いし、木材は絶対的に不足していてね。か細い木やシロアリが好む松を使ったせいで、台風のたびに壊れたんです」
当時、杉材を使った家は、今も残っているそうですが、目の前で自分の家が壊れ、米人住宅が頑丈に残っていたら、「次こそRC」という心境になったんでしょうね。
「沖縄では、60年代に木造とRC住宅の割合が逆転したんですよ」
うれしい気持ち
宇栄原さんの戦後沖縄住宅史に聞き入る調査員。いよいよ、デカデカ・ネームなのですが…。
「RC造に伴って、ペインティングも発展しました。誰が最初か、はっきり分かりませんが、都市部で商店名などをペイントしたのが始まりじゃないかな。木造に比べて、RCは大きな平面が得やすい。対して看板は、さびや腐食などで劣化しやすいし、別のコストが必要でしょう。ペンキなら描くだけ。塗り直しも簡単。合理的だったんです」
商店など、アピールする必要がある建物なら分かるんですが、なぜ個人の住宅にまで広がったんでしょう?
「今も昔もそうですが、アパートを建てるって一大事業でしょう。建て主もうれしいし、誇らしいわけですよ。だから、自分の子供のように大切に名前を付けて、アピールしたんでしょうね」
戦後、やっとの思いで建てたであろう家。思い入れも強かったのでしょうね。今どきのしゃれた横文字より、ローカルなファミリーネームが付けられた建物ってなんだかホッとしませんか。いつかは名前を付ける側になってみたいと、無謀にも思う調査員なのでした。