「島ネタCHOSA班」2013年09月26日[No.1486]号
うるま市栄野比には、すごくユニークで面白いダンスがあるんです。毎年、観月会で披露されるので、ぜひ見に行ってください。
(うるま市 あっちんさん)
栄野比で南島踊り継承!?
面白いダンス? どんなダンスでしょうか。興味が湧いてきます。これは、実際に見に行くしかないでしょう!
さっそく栄野比公民館を訪ね、書記・国場由希子さんに聞きました。
突然ですが、栄野比にはユニークなダンスがあるって聞いたのですが…。
「たぶん島民ダンスのことですね。南洋群島のテニアンに働きに行った人たちが、現地の人から習ったダンスです。戦後、大嶺自信さんが栄野比に持ち帰り、今でも続けているのです」
テニアンから持ち帰った!?
いったいどんなダンスなのでしょうか。
「青年会を中心に男性たちが、体を黒く塗って踊ります。激しいダンスではないのですが、振りが細かくて難しいですよ。年1回、旧8月15日の十五夜に開かれる敬老会・観月会でだけ披露されます。ことしは、9月19日です。本番に向けて、毎晩練習していますよ」と話してくれました。
なるほど、伝統あるダンスなのですね。ますます見たくなりました。19日の本番まで待てません! と、夜の練習を見学に行きました。
伝統の形に修正
午後9時の栄野比公民館。仕事や学校を終えた青年たちが集まってきます。指導者の一人、前青年会長の島袋優さん(34)は「島民ダンスがないと栄野比の十五夜は終わりません」と言い切ります。中学生のころから20年以上踊ってきた島袋さんですが、伝統的な振りを引き継ごうと、数年前、習い直したといいます。
「当初はテニアンで教わった通りの踊りだったそうですが、何十年も続くうちに変わってしまったのです。それで4、5年前に年配の人たちから指導を受けて、昔の形を復活させたのです。年配の方々のため、若い人のために伝統を引き継ぎたいです」
決意をこめた言葉に感動です。
いよいよ実際のダンスに対面。この日集まったメンバーは9人。子どももいて、和気あいあいとして楽しそう。しかし練習が始まると、雰囲気が一変。「声が小さい」などと渇が飛びます。ダンスは、前かがみになり、足で床をけって、手をたたいてリズムをとる独特なもの。「ワスタイロン」と繰り返される不思議な歌は、意味が気になりますね。
そこで、ダンスの中で酋長(しゅうちょう)と呼ばれるリーダーの大嶺自保さん(74)に聞きました。大嶺さんは、ダンスを持ち帰った大嶺自信さん(88)のいとこでもあります。
「言葉は現地のものを、踊りやすいように変えてあります。内容ははっきりとは分かりません。ただ、開拓移民は荒地を耕し、最初の数年は苦労したが、だんだんと豊かになり、とうとう豊年祭ができるまでになったといいます。そこで、豊年祭のために踊りを習ったと聞いています」
豊年祭の踊りだったなら、豊作を喜び、繁栄を願うような歌だったのかもしれませんね。
「戦争で、日本人は強制的に帰国させられました。何も持って来られなかった。だから、栄野比の若者たちが島民ダンスを披露するようになったら、多くの人が懐かしいと喜んでくれました」と大嶺さん。「私は小学生のとき、踊りを見て覚えました。踊りが始まって63年。島民ダンスなくして、栄野比の芸能はありませんね」と話してくれました。
十五夜の最後に
そして、島民ダンスが披露される「敬老会・観月会」の日がやってきました。栄野比あしびなーに設置された野外ステージの前は高齢者はじめ地域の人でいっぱいです。島民ダンスは、発表の最後を飾ります。
顔と体を黒く塗り、草で頭を飾り、腰にも独特の衣装を付けたメンバーが入場すると、観客は大喜び。拍手がわき上がりました。低音で魂に響くような歌を歌いながら舞う男たちの姿は野性的。異国のダンスにもかかわらず、沖縄の夜の風景にマッチしています。観客の拍手喝采を受けて、ことしの島民ダンスは無事終わったのでした。
もちろん、調査員も大拍手。南洋群島を開拓した先人たちの思いを今に伝えるダンスに、感動せずにはいられないのでした。