「島ネタCHOSA班」2015年10月01日[No.1589]号
浦添市住民です。以前の「島ネタ調査」に掲載された城間バス停の横に立つ石碑は、浦添青年会議所が作ったはずだと祖父の知り合いが言っていました。ぜひ追加取材をしてください。
(浦添市 ジジ・フランコさん)
城間バス停の石碑 謎が解明!?
8月6日付の島ネタ調査班で取材した、国道58号の城間バス停そばに立つ謎の石碑。近隣の住民への聞き込みやうっすら残る文字から1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の記念碑らしいということまでは分かったのですが、誰が何の目的で作ったのかまでは判明せず、タイムリミットを迎えてしまいました。
完成時の資料が存在
前回、何件かの青年会議所には尋ねたのですが、その中には浦添青年会議所も含まれていました。読者からの情報を基に、再度連絡をしようと思っていたところ、なんと同会議所から連絡が! 前回の掲載後、元会員に聞く機会があり、同会議所が制作したものだと判明したそうです。
おお、その後も気に掛けてくれていたのですね! 感謝、感激です。
「当時の資料も見付かったので、お見せできます」
本当ですか? さっそく確かめに行きましょう!
見せていただいたのは「浦添JC 20年のあゆみ」という設立20周年時に制作された記念誌。ページをめくっていくと…。
おお、これができたてほやほやの石碑ですか?
「1975年7月20日に行われた除幕式の写真です」
海洋博の開催日に除幕式をしたんですね。そして、あの欠けていた石板の文字が写っているじゃありませんか! 現在は断片的な文字しか残っていませんでしたが、「海、その望ましい未来」というテーマ、そして「浦添青年会議所」の文字が見えます。「沖縄国際海洋博覧会」の文字もクリアに見えます。シンボルマークも色付きで彫られていたのですね。
なぜこの石碑を作ることになったのでしょうか?
「当時の会員に聞いたところ、海洋博開催が決まり、浦添青年会議所でも何かを残そうということになったそうです」
同会議所が進めた事業だったのですね。国道事務所の許可を得るなど、約1年の準備期間を経て、完成したそうです。
「資金に関しては、資金造成ゴルフ大会を2度開催して、調達したと聞きました」
そうだったんですね。どこかから援助があったものと思っていました。
1975年度の理事長を務めた平田正雄さんにも電話で話を聞くことができました。
なぜ、あの場所に設置したのでしょうか?
「沖縄国際海洋博覧会は国の主催ですので、国道沿いがいいということになったのではないかと思います」
また、浦添市内で、石碑を建てる余裕がある所が他になかったため、あの場所になったそう。
確かに、歩道の邪魔にもなっていません。偶然、直通バスの停留所の近くというベストな位置になったのですね。
編集室に戻ると、他の調査員から、那覇市歴史博物館で海洋博開催40周年記念の企画展が開催されているとの情報をゲットしました。これは見に行かねば!
当時のグッズも展示
戦前から現在までの沖縄観光の移り変わりを写真などの資料とともに紹介している「海洋博開催40周年記念 戦後の沖縄観光 〜鎮魂からトロピカルアイランドへ〜」。奥のコーナーに足を踏み入れると、海洋博のマークが目に飛び込んできました。
ポストカードや切手、記念メダル、浴衣まで、当時の貴重なグッズが並んでいます。
石碑にも刻まれていた3つの波頭が並ぶシンボルマークも初めて実物を見ることができました。このマークを基にあの石碑も作られたのですね。
謎が解けた上に、当時の資料も実際に見ることができ、時代の移り変わりに思いを馳せた調査員でした。