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[No.1618]

  • (金)

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「島ネタCHOSA班」2016年04月28日[No.1618]号

思い出の遊園地に迫る

 恵まれた自然に引かれ移住した沖縄。でも、遊園地やジェットコースターがないのは少し残念。そんなわけで、昔あったという「与那原テック」について詳しく知りたいです!

(那覇市 パパヤーパパ)

思い出の遊園地に迫る!?

 与那原テックといえば、かつて与那原町の西側斜面、現在のマリンタウンゴルフの敷地にあった遊園地ですね。

 じつは、今回の調査員も県外出身。実際にこの遊園地を目にしたことはありません。これを機に、当時の様子を探ってみたいと思います!

懐かしい遊具の数々

 ということで、やってきました与那原町。役場に問い合わせたところ、監査役として与那原テックの設立に関わったという人物を紹介してもらいました。

 その人とは、永山盛幸さん。突然の訪問にもかかわらず、調査員をニコニコと出迎えてくれました。

 年齢をうかがってビックリ、永山さんは現在87歳。まさに人生の大先輩ですが、若々しい口調で「与那原町をしっかり宣伝してくださいよ」と、セピア色の写真を広げ、当時の様子を話してくれました。

 与那原テックの建設計画がスタートしたのは1963年ごろ。当時の沖縄ホンダの社長、故・徳野睦夫さんと共に事業を計画し、有名人や有名企業から出資を募り、会社組織を立ち上げたそうです。

 「当時、建設予定地は何もない原野ですよ(写真①)。そこを切り開いて作ったんです。あんなに大変だとは思っていませんでしたよ」と苦笑いする永山さん。建設には2〜3年の歳月を要し、1966年にオープンしました。

 さて、ここからは永山さんの思い出に残る遊具の数々を紹介していきましょう。

 まずは、ミニサイズの機関車、義経(よしつね)号(写真②)。明治期の蒸気機関車がモデルで、鉄道を見たことがなかった当時の子どもたちの人気を集めたといいます。外見は蒸気機関車を模していますが、動力は蒸気ではなく車のエンジン。

 続いて「電気式のコーヒーカップもありましたね」といい、調査員に写真を見せてくれた永山さん(写真③)。

 人を乗せてくるくる回るコーヒーカップは遊園地の定番ですよね〜。あれれ、でもこのコーヒーカップ、少し変ですね。読者の皆さんはお分かりでしょうか? よく見ると、カップの下に車輪が付いています。

 「くるくる回りながらレールの上を移動していくタイプで、みんながいいアイデアだといって有頂天になりましたよ(笑)」。なるほど、これは斬新です!

ジェットコースターも

 そして、忘れてならないのはジェットコースターに観覧車。

 「ジェットコースターは全長250〜300㍍ほどの短いもの(写真④)。スピードも出ないし、今から考えると素朴ですが、沖縄で初めてだったからものすごくよかったんじゃないかな。観覧車は高さ7㍍ぐらい。私が作ったんですよ」

 ええっ!! そうなんですか〜。 聞けば、永山さんは理数科が得意で、電気関係が好きだったため、遊具の作製や修理に自ら携わっていたそうです。

 「でもね、塩害のことを考えてなかったんですよ」。丘から吹く塩を含んだ強風により、遊具にはさびがつきやすく、メンテナンス費用が膨大に。それも要因の1つとなり、残念ながら1986年、与那原テックは閉園を迎えてしまいました。

 「与那原テックがもっと成功していたら、与那原町に路面電車を敷きたかったんだけど…」と、目を細めつつ与那原町への愛を語る永山さん。ですが、人々の心に、大きな夢とたくさんの思い出を残してくれたはず。ノスタルジーに浸りながら、与那原町を後にした調査員でした。



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思い出の遊園地に迫る
永山盛幸さん
思い出の遊園地に迫る
1963年ごろ、原野だった建設予定地をバイクで視察する永山さん
思い出の遊園地に迫る
人気を集めた「義経号」。動力は車のエンジン
思い出の遊園地に迫る
レールの上を回りながら移動するユニークなコーヒーカップ。乗ってみた〜い!
思い出の遊園地に迫る
ジェットコースター。赤・白・青をあしらったデザインがおしゃれ
(写真提供:永山盛幸さん)
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