「島ネタCHOSA班」2024年11月28日[No.2064]号
6月12日と9月1日の琉球新報に、沖縄市の米軍嘉手納弾薬庫にある杣山についての記事がありました。琉球王国が木を育てていたのは何となく知っていたけど、杣山とはいったいどんな場所なんでしょう。今一度、知ってみたいです。
(沖縄市 ちの)
杣山ってどんな場所?
琉球王府が各地に定め、管理したという杣山。報道された場所は、かつての環境をしっかりと残す場所であるとのこと。実際の様子も、今後どうなるのかも気になりますよね。
ということで、佐藤寛之さん(博士)にお話を聞くことにしました。沖縄市立郷土博物館が行なった、米軍嘉手納弾薬庫知花地区の調査に参加した人物です。山林に立ち入り、植物や植生から、昔の人の痕跡を探すことのできるプロフェッショナルですよ。
資源事情を反映
杣山を中心とした林業政策が始まったのは、政治家として名高い蔡温(1682|1762年)の時代。杣山に関する法令・文書は、「林政八書(りんせいはっしょ)」と呼ばれる一連の書物に残されています。イヌマキやセンダン、イタジイ、クスノキをはじめとする有用な樹種を指定。保護と育成を推奨しました。各地の杣山には山奉行(やまぶぎょう)をはじめとする役職を配置し、無断伐採などを取り締まりました。木材を消費する屋敷や船の建造にも規制がかけられました。
厳しい林業政策の背景には、1709年に首里城が火災で焼失したことが関係している、と佐藤さんは考えています。薩摩から再建用の材木約2万本を供出してもらった、という記録が残っており、当時、王府の中心にいた人々が木材の確保に苦労したことがうかがえるのです。
人の痕跡がたくさん
佐藤さんらが調査した、米軍嘉手納弾薬庫知花地区の杣山は、旧・越来村大工廻(だくじゃく)に位置するもの(現在は沖縄市大工廻)。杣山のエリアに加え、隣接する八所(やっとくるー)という集落跡も確認しています。現場の様子を教えてもらいました。
調査地の木は「真っすぐで太く、手入れが行き届いている」という佐藤さん。今回見つかったイヌマキの大木は双眼鏡を使い、樹冠の葉っぱを確認したほどだとか。イヌマキは自然状態だと生長が非常に遅く、こうした大木は人々が何世代もかけて手入れなどをしていた証拠となります。アマミアラカシやナカハラクロキも大木が見つかっているそう。
現地には昔の人による土木工事の痕跡も残っています。角度を均一にそろえた斜面があるそうです。その斜面にはタブノキの大木が生えているのですが、こちらは推定樹齢が200歳以上とのこと。斜面の工事はさらに古い時代だったことも示してます。
八所集落跡にはアダン、ソウシジュ、ホウライチク、ソテツなどかつての住人たちが植えて利用したと考えられる植物が残っていました。杣山の樹種と、日常生活で利用できる植物の違いが、人々の中にはっきりと浸透していたことも分かります。
植物を手がかりに、昔のことを明らかにするという調査はまだまだ走り出したばかり。佐藤さんは嘉手納弾薬庫知花地区に限らず、県内各地でどうにか開発を逃れている杣山の重要性、そして昔の人の植物利用のおもしろさを発信していきたいそうです。


