「ワシントコポスト」2023年08月24日[No.1998]号
私の母は、大正生まれで、戦争を乗り越え、幼くして母親を亡くし、家族が食べるために、一日中畑仕事をしていて、食事は妹が作っていたそうです。
そんな母は、あまり料理が得意ではなく、私が小さい頃のお弁当は、母が商売をして、忙しかったこともあり、近くのお店から買ってきたコロッケや巻き寿司やお総菜がほとんどでしたが、唯一、母が焼いたふわふわで塩味の、あまり形が良くない玉子焼きがとてもおいしいかったのです。
お盆になると、孫たちと「おばあちゃんの玉子焼きは、おいしかったよね」と話題になります。母が焼いた、素朴な味のふわふわ玉子焼きが、時々食べたくなり挑戦するのですが、母の玉子焼きの味とは、何かが違うのです。
もう食べられない、母の玉子焼きがとても懐かしくなります。お盆のウンケーの日には、私の作った玉子焼きを、お供えしてお迎えしようと思います。
(那覇市 ポーク)
(編コメ)お母さまは、きっと心をこめて丁寧に玉子焼きを作っていたのでしょう。お盆の日には「玉子焼き、おいしかったよ」と伝えてあげてくださいね。
8月3日付、盥(たらい)さんの投稿文「洗濯機の寿命」を拝読し、懐かしくてペンをとりました。
私に同じような洗濯機がありました。結婚当初は洗濯機もなく、東京の冷たい水での洗濯は手がかじかんで、時々手に息を吹きかけながら洗濯していました。
やっと買えたのは、二層式の洗濯機。子どもが生まれ、当時(48年前)は、紙オムツは高くて変えなかったので、布オムツの洗濯に大活躍。手洗いから解放されて、とてもうれしかったです。この洗濯機は10年使い、やっと全自動が買えました。
今では、盥さんがおっしゃる通り、家事全般が電化製品になって鍋でごはんも炊けないし、たまに1~2枚の服を手洗いするのも面倒だと思うほどズボラになりました。でも不便な時代も頑張ってきたから、今の便利な生活もありがたいと思い感謝しています。
(那覇市 乙女座のババ)
(編コメ)私たちの生活を支えてくれる洗濯機。洗濯機の歴史は、各家庭の歴史といえるのかもしれませんね。洗濯機や家電に、あらためて感謝しなければいけませんね。