「表紙」2013年09月19日[No.1485]号
美しい風景切り取る
繊細な和紙の繊維を丁寧にほぐし、美しい作品へと変身させる。83歳で和紙ちぎり絵と出合った又吉ツル子さん(94)。周囲が驚く集中力で手掛けた作品は、動物や植物、国内外の風景などがモチーフ。優しい色合いのグラデーションで少女のような感性が映し出される。「子どもたちが1人前になって独立したら自分のために時間を使うと決めてね。孫の子守りもしないよ」と笑う。作品からは大正に生まれ、昭和を必死に生き抜いた女性ならではの強さとしなやかさが伝わってくる。
好奇心失わず継続
明るい日差しの入る自室で、和紙ちぎり絵の作品作りに励む又吉ツル子さん。見本をじっと眺めて集中し、素材の和紙を選ぶ。手先を器用に使い、細かくほぐしてけば立たせ、一つ一つ筆でのりを乗せていく。「始めたら時間が過ぎるのも分からないさ」と真剣な表情だ。
又吉さんがちぎり絵と出合ったのは、83歳の時。「友達に誘われて展示作品を見たらね、きれいだなと思ってね」。浦添市安波茶の中央公民館でちぎり絵を習い始めた。
ちぎり絵を始めたころは旅行が好きで、国内外で撮った写真や集めた絵はがき、自身のスケッチがちぎり絵の見本になった。各地の和紙を求めるのも楽しみの一つだったという。「いろんな所に行ったからね。作品にしたらいつまでも残るさ。風景を作るのが好きだね」と目を細める。
子どもたちが近所に住み、身の回りの世話や外出時の送迎を担当。今は悠々自適の生活だが、若いころは苦労の連続だった。
ゼロからのスタート
20歳の時、2歳年上で同じ浦添市宮城出身の清昌さんと結婚。農業で生計を立てていたが、沖縄戦に巻き込まれる。夫は招集され、子どもと共にやんばるへ疎開。戦後収容所を経て帰郷したものの、清昌さんは帰らぬ人となった。「どこで亡くなったかも分からないんだよ」
自宅は砲弾が落ちて何もかもなくなっていた。ゼロからのスタート。それからは子ども4人を育てるために必死で働いた。「荷物頭に担いで那覇に売りにも行きましたよ」。40歳を過ぎてからガスの配達のために車の免許を取ったという。「当時女性で運転している人は見たことなかったよ。ボンベは1本20㎏もするからね、大変でしたね」
そんな苦労を重ねた時期にも、心に決めていたことがあったという。「家族のために必死に頑張ったからね。生活が落ち着いたら自分のために時間を使おうって」
何でも勉強したい
50歳ごろから三線、琴、詩吟などを習い、地域のまつりなどで腕を披露した。膝を悪くした今はちぎり絵が一番の楽しみ。週一度、みんなでわいわいちぎり絵を作っている時間が生きがいだ。
「学校行っていないからね、何でも勉強したいんですよ。だからね、孫12人いるけど子守はしないよ。自分のこと一生懸命さ」。集中力の高さは、家族や周囲が舌を巻く。自身の数え85歳のトゥシビー祝いには、集まった招待客全員に一枚一枚ちぎり絵をプレゼント。「お世話になっている人たちを喜ばせたいだけ」と照れた表情を見せるが、コツコツと積み重ねた時間に気持ちを込める様子が目に浮かぶ。
外出や人との交流が大好きな又吉さんの周りには、自然と人が集まる。「ちぎり絵の先生に個展の話を勧められた時も、できることは何でもやろうって」
現在、浦添市西原のカフェで初の個展を開催中。展示会には、自身も足を運んだ。「びっくりしましたよ。きれいに飾られてね。『これ誰の絵?』って娘に聞いたんですよ」と笑う。いくつまでちぎり絵を続けたいか聞くと、「できるまでは続けるさー」とちゃめっ気たっぷりに答えた。自身の感性で切り取った楽しい思い出が写し込まれた作品の数々。それらをいとおしそうに眺める又吉さんの情熱は衰えない。
島知子/写真・呉屋慎吾
1919(大正8)年、浦添市宮城出身。4人きょうだいの長女。20歳で同郷の清昌さんと結婚。夫は沖縄戦で帰らぬ人に。その後、女手一つで3女1男を育てるために農業、行商、商店経営、ガスの配達などがむしゃらに働いた。今はちぎり絵に打ち込み、週1度浦添市中央公民館でのちぎり絵教室が一番の楽しみ。「生き生き95歳和紙ちぎり絵展〜又吉ツル子」は10月31日(木)まで浦添市西原のカフェティアラ(☎098-875-5440)で開催中。