沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1567]

  • (金)

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「表紙」2015年5月30日[No.1567]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 5

よへなあじさい園
饒平名 ウトさん 仲村 洋子さん 宮城 由利子さん

母の愛 9千余株の花開く

 遠くからこだまする野鳥のさえずり、山間を駆け抜ける風、時計の針が止まったかのような静かな時が流れる本部町伊豆味-。ヤンバルの原生林が生い茂り、ミカンの里として有名な地だが、毎年梅雨の季節だけ、緑のじゅうたんから青のじゅうたんに変化する場所がある。饒平名ウトさん(97)が園長を務める「よへなあじさい園」だ。ウトさんが開いた園を3女の仲村洋子さん(71)、4女の宮城由利子さん(64)がきょうだいと共に手助けし、美しいアジサイの名所を作り上げてきた。母と娘が手塩にかけた、「親子の愛」が広大な園内で花開く。



97歳現役のスーパーおばぁ

 よへなあじさい園は約40年前、ミカン畑だった広大な土地に、饒平名ウトさんが義兄から譲り受けた3株のヒメアジサイの苗を植えたことから始まった。アジサイの栽培に適したヤンバルの土壌と水はけが良い場所だったためよく育ち、たくさんの花を咲かせた。それが花き店の耳にも入り、花を仕入れに来るようになったことから株を増やし続け、その収入を孫たちのお年玉やランドセル購入などに充てた。その後、周りから観光施設として開園を望む声が多くなり、2001年にオープンした。

 園長を務める饒平名ウトさんは、現在97歳。ほとんど毎日、日が暮れるまで草取りや剪定(せんてい)など花の手入れをし、3度の食事も自炊する。年齢を感じさせないぐらい元気な「沖縄のスーパーおばぁ」だ。そんな彼女は、農家の娘に生まれ、農家に嫁いだ。幼少期から親の仕事を手伝ってきたため、花を育てるのが得意だった。「寝ているときも草取りしている夢を見るよ」と言うぐらい農業一筋だ。

 ウトさんが丹精込めて作ったあじさい園は、ヒメアジサイやガクアジサイなど約9500株のアジサイが育ち、梅雨時は園の斜面を青やピンクに染める。



親の背中見て育つ

 ウトさんは18歳のころ、和歌山県の紡績工場で約2年間働いた。帰郷後、20歳で叔母の紹介で知徳さんと出会い、結婚。4人の娘と5人の息子に恵まれた。夫婦で農業を営むヤンバル暮らしで、9人の子どもたちを育てるには、決して楽な生活ではなかった。しかし、「学問はお金に勝る財産」との夫婦の強い思いから子どもたちを大学まで進学させた。

 知徳さんは子どもたちの学費を稼ぐために、単身で街に出て事業をし、夫婦別々の生活を余儀なくされた。ウトさんは休みなく畑に出てミカンやウコン、花を栽培し、洋子さんと由利子さんは、ほかのきょうだいと協力し合って畑作業を手伝い母を支えた。

 「生活は食べていくだけで精いっぱいだった。母は、朝から晩まで働くので、朝起きたらいつも母の姿はない。だから雨が降るとうれしかった。家族だんらんできるから、雨の日が好きでしたね」と由利子さんは笑う。

 「あのころは、とても苦労したよ。子どもたちはよく手伝ってくれた。感謝の気持ちしか残らない」とウトさんは振り返る。

 その後、県外に出ていた3人の子どもたちは大学を卒業し、帰沖。知徳さんも家族の元に戻る準備をしている矢先、病を患い、59歳という若さで他界した。

 「来年、父のトゥシビーだねと家族で喜んでいた。父の死は辛かったけれど、子どものころから親の苦労を見てきたから乗り越えられた」と2人は語る。



子から孫へ咲き継ぐ

 洋子さんと由利子さんは、福祉関係の仕事に就いた。退職後、2人は草取りや剪定など園の維持管理を手伝う。兄や弟は花壇や園の看板、散策道を造り、広報活動も率先する。孫たちはそんな親を見て、あじさい園が開園すると、受け付けや駐車場の誘導を手伝い、今ではひ孫まで受け継がれ協力する。

 「一家だんらん」を象徴する花ともいわれているアジサイ。家族団結して作り上げたよへなあじさい園は、まもなく開園して15年目になる。

 苦楽を共にし、母の背中を見て成長した洋子さんと由利子さん。「一生懸命、子育てしてきた母だから父の分まで幸せになってほしい」と母を気遣う。

 そんな娘たちを見てウトさんは、「今が一番幸せ」と顔をクシャクシャにして笑う。

 もうすぐ始まる梅雨の季節。饒平名家が一つ屋根の下に集まる雨の日がやって来る。そして、今年も多くの人があじさい園の開園を待ち望んでいる。

当山絵理加/写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)



プロフィール

よへな・うと
 1917年本部町生まれ。18歳のころ、紡績工場で約2年間働き、20歳のころ地元で結婚。沖縄戦の戦火をくぐり抜け、5男4女を育てる。56歳で夫と死別。60歳からアジサイを植え始め、2001年に「よへなあじさい園」をオープンする。97歳の現在も同園の手入れが日課になっている。今年1月、子や孫、ひ孫、孫の配偶者を合わせた家族の合計は100人になった

なかむら・ようこ
 1943年本部町生まれ。県内の大学を卒業後、県庁で勤務し、2001年退職。同年開園したあじさい園の管理に携わる。現在3人の子と5人の孫がいる

みやぎ・ゆりこ
 1950年本部町生まれ。東京の短期大学を卒業後、帰沖。1973年地方公務員に就く。在職中からあじさい園を手伝い、母を支える。現在3人の子と6人の孫がいる

●よへなあじさい園
5月中旬に開園予定。「あじさい園コンサート」 5月31日(日)13時15分〜
本部町伊豆味1312 ☎0980-47-2183



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よへなあじさい園
饒平名ウトさん(中央)が園長を務める「よへなあじさい園」は、5月中から開園する。オープンに向け3女の中村洋子さん(左)4女の宮城由利子さん(右)が母と共に準備を進めている=本部町・よへなあじさい園

よへなあじさい園
9500株の鮮やかなアジサイが斜面を彩る風景は、多くの人に感動を与える
よへなあじさい園
あじさい園の手入れをするウトさん(手前)と娘さんたち
よへなあじさい園
ウトさん(右)が20歳のころ、3歳年上の知徳さん(左)と結婚した
よへなあじさい園
ウトさん(左)と大学時代の洋子さん(左から2番目)、中学時代の由利子さん(右から3番目)。1年に1回、家族でビーチパーディーを開いた=名護市屋我地島
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